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#わたしのおたく論

#わたしのおたく論

お友達のゆづきが楽しいタグを作っていたので、これを機会に自分のオタク論を言語化することにする。論はあくまで「論」なので、実践できているかと言われたらできていないこともあると思う。


①自担を他のタレントさんと比較しない

 特に他のタレントさんの具体的な名前を出して比較することはしないようにしている。「すごい」のは彼がすごいからすごいのであって、彼が誰かと比較してすごいからすごいのではない。私にとっては161cmの担当も178cmの担当も足は長いし背は高い。

 比較することそれ自体は悪いことだとは思わない。でも比較する時点でどうしても何か主張とか真意が発生すると思うから、その実「比較」は「批判」となり、「要望」となると思う。だから、出来る限り比較をしない。もしくはしても、その真意が透けないようにする、かなあ。

 例えば自担より扱いのいい子が明らかに担当より技術的に劣るなあと思う場合に、「今日も担当のダンスはナンバーワン!」とツイートすることは(私のなかで)いいのだけれど、「どう見てもうちの子、〇〇君より踊りうまいよね?」はよくない。名前を出して批判をする=喧嘩を売る。

 我々はオタクなので担当のことをほめそやすのは自由だと思う。私はよくナンバーワンとか宇宙一とか最高とか天才とかいうが、これはすべて「(私のなかで)」という接頭がつく。自分でいうだけなら最高と天才はなんぼあっても困りませんからね(ミルクボーイ)。だいたいほんとうに、私はなんにでも「最高」「天才」「泣いた」「笑った」しか言っていない。語彙力ないので。

 体よくかいてはみたものの、「横尾担な以上、人のダンスと歌に文句は言わない」が包み隠さない私のオタク論①です。もちろん、私は横尾さんの歌もダンスも好きだよ。でも「横尾担」が人様の歌とかダンスに何か言うと向こうから100倍の熱量で言い返される気がするので言わないようにしている。

②目の前で自分が見たもの、聞いたものだけを信じる

 『あるオタクがタレントの媒体(雑誌のテキスト・ラジオ・テレビ・現場)を経て、それに対してなにか一言添えたツイート』は、本当に厄介。いわゆる大手さんって、この添えられている一言に彼・彼女らの経験や気持ちが反映されていて、価値があり、書き方のうまさとかで支持・共感を得ていると思う。でもこのツイートそれ自体が事実かというと、それは違う。

 Twitterは本当に便利なツールだけど、「事実」と「主観」がものすごくあいまいになりやすい。ゆえに、声の大きい大手さんが何らかの事象に対してツイートを行い、オタクが拡大解釈をしてしまった結果、誰かの「主観」が「事実」として歩き出してしまうことがある。

 Twitterに限らない。メディアでは、他人の主観がみんなの事実になることが多いからこそ、文春や才女は「関係者」の意見をさも事実みたいに発信して、それを信じるオタクが後を絶たないんだと思う。

 でも私は気にしない。私は自分で見て、読んで、聞いて、感じた私の「主観」を、私のなかでの「事実」として信じる。

 「泣いてた気がする」「辞めるんじゃないか」なんて、何回聞いたかわからない。それでやめた例も、やめてない例も、両方同じぐらい知っている。私は赤名くんがクリパで号泣してオタクがみんな「やめるんだ…」って言ったとき、ドームでの彼のパフォーマンスをみて「いつもどおり」だと思った。その判断に対して後悔をしていない。少なくともその時、彼のパフォーマンスにはそれだけの力があった。「ジャニーズWESTのバック」として、彼が「いつもどおり」のパフォーマンスをしたのであれば、それはアイドルの引退としてあるべき姿だと思う。

 こんな風に、いつだって自分の目で見たもの、聞いたものを信じる。MBSのようわからんスタッフさんが言っていた「二人とも棄権するかもらしい」より、マラソンを走る今リチャの姿を信じる。オタクのツイートで見た「大地くんが瑞樹さんに相談していた」より、実際に自分がfaniconで聞いた、瑞樹さんの発言を信じる。

③自分の主張をする前に人の意見を聞かない

 人のブログやツイートを読んで、そこで提示されている意見が自分の主義主張と異なるものだと、それに対して意見をしたり反論したくなってしまうことがある。

 これに対しては、②で書いているとおり、自分が見たものを信じればよいから「反論をしない」が正解なのを知っている。でも人間って脆いから…ごめん嘘これはバカデカ主語だわ、私は売られてない喧嘩を勝手に買いにいく人間だから、何か言われているとそれに対して反論をしたくなってしまう。

 でも、「この意見に対して反論しよう」というモチベーションで書いたツイートやブログって、どうしてもどこか攻撃的になってしまう。直接その人の意見を貼ったり引用したりしなくてもね。そして、なんらかの意見に対する反論って、「反論したい」という気持ちが前面に出てしまうから、必ずしもその時の自分の真意を反映しているとは言い難い。

 つまりどういうことかというと、こういう時に発信したものは、あとから読み返すと本当に胸糞が悪い。私のブログやnoteにもいくつかあります。ええ。ついやってしまうので。

 だから、ブログを書くときはできる限り人の意見をインプットせずに、自分の印象だけをアウトプットするようにしている。そうすれば、ポジティブな意見はもちろん、たとえネガティブな意見であったとしても、それは「私が得た印象」であると胸を張って言えるから。

 そして、これは普段書くブログなんかよりも、自担の発言や行動に対してモニョったり解釈違いを起こし、担降りしようか迷う、など、そういうオタ活において岐路に立つような悩み事を抱えているときに本当に大事になってくると思う。みんなが怒っていても、私にとっては全くダメージがないこともあるし、逆に、みんなにとっては大したことなくても、私にとっては大ダメージなこともある。そんなときに人の意見を勝手に見て勝手に反論して消耗するの、単純に非効率なんだよな。

 もちろん、これをやってしまうと、「え、私はめっちゃ喜んでブログ書いたけど、オタク民意としては不満なの…?!」みたいなことも往々にして発生する。つい先日もあった。知らんわ!私はその時嬉しかったんじゃ!!!

④不安になったら手を動かす

 オタ活を長く続けていると、そして特にジュニア担だと、いわゆる「病んだ」状態になってしまうこともそこそこある。担当のいいところが見えにくくなってしまったり、他の人と比較して落ち込んでしまったり、周りに喧嘩を売りたくなったり…喧嘩っぱやすぎでは?

 まあすなわち先述の①②③ができていないとき、オタク精神的に非健全なとき。こういうときにはとにかく、オタごとでもそうじゃなくてもいいので、手を動かす。

 年始の京セラドーム後はファッション誌を買って読んでみたり、行きたくて気になっていたPerfumeのライブに行くことにしたり、マッチングアプリを再開したり、ダブルワークの面接を受けたりした。

 少し落ち着いてきたら、ファンレターを書く、要望はがきを書く、お便りを書く。今後それらをやりやすいように、情報収集用のデータベースを作成したり、要望を送るようの一覧を作成したりする。(私は「何もしていない・何をすればいいかわからない」状態がストレスな人間なので、こういうことをするのが好きだけれど、苦手な人はやらなくていいと思う…)

 不安になって、愚痴垢や情報垢、そうでなくてもオタクのお気持ち表明や学級会を読んでへこむぐらいなら、とにかく手を動かす。私がオタクをあがったってアイドル側は何も困らないのは承知のうえで、私がオタクをあがると私が困るから、人の意見に喧嘩を売る暇があったら手を動かす。

最後に

 ①~④を改めてみてみる。

①自担を他のタレントさんと比較しない
②目の前で自分が見たもの、聞いたものだけを信じる
③自分の主張をする前に人の意見を聞かない
④不安になったら手を動かす

 「自分のカンは信じる」「弱音は吐かない、いいことしかツイートしない・書かない」も候補としてあったんだけれど、他と重複する気がして割愛した。総じて、「人の意見に惑わされず、自分の意思をもって、自分を信じる=自信をもつこと」が私のオタク論なんだと思う。

 好きじゃない自分を、アイドルの前で、そうじゃなくてもオタクとして、さらけ出すことはしたくない。アイドルを好きになることで、自分のことを少しでも好きになれたらいいなと思う。結論、オタ活は、「アイドルという媒体を勝手に使った自己実現」です。

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