自殺は救いについて。

こんばんは。涅槃したいJKりのちです。

私は普段、テレビを見ないタイプなのですが、今日は珍しくテレビでニュースを見ていました。

ニュースでは「いじめられていた少女が自殺した」と報道されていました。私はいたたまれない気持ちになり、「チャンネル変えよ。」と言っておじゃる丸とドラえもんを同時摂取しました。

日本ではこういうニュースが春になるとよく報道されますよね。親戚が自殺したということもあって、自殺について考えることが多いので、今晩は自殺について述べていこうと思います。

まず、精神的な話ではなく、物理的な話をしようと思います。私は現実主義なので、「死んだら無に返るだけ。産まれる前の記憶が無いのと同じように。」という考えです。ですが、そう簡単に終わらせることができたら、死後の世界なんて言葉がないと思うのですよ。どの宗教でも死後の世界が語られているなんて、不思議ですよね。まあ、そんなこと誰にも証明できないことなので論じるのは不毛なことだと思うのです。

次に精神的な話をしようと思います。

私は先程、死後の世界の有無を言い争うのは不毛なことだ、と述べました。ただ、「自殺が救いだ。」と思って自殺する、ということについて私は疑問を持ちます。

いじめや虐待などからくる生きずらさから逃げたい、救われたい。そう思って自殺する人間は少なくないと思います。ですが、みなさん今一度考えてみてください。本当に「死」は救いなのでしょうか。

答えはわからない、が正解だと思います。

なぜなら、この地球上にいる人間全員、死を経験したことがないからです。当たり前なことですよね。死後の世界は本当にあるかもしれない、地獄があるかもしれない、天国があるかもしれない。それは無いとも有るとも言いきれないことです。悪い人間だったら地獄に落ちて、生きていた頃より苦痛を味わうかもしれない。良い人間だったら天国にいって、生きていた頃よりずっと幸せを味わえるかもしれない。そんなこと、冷静に考えれば誰しもわかることです。

では何故自殺する人がいるのか。

それは「死」が究極の現実逃避だからです。

考えてみてください。みなさん、過去のことで落ち込んでいたり、泣いていたり、病んでいたらどうしますか。過去のことはどう足掻いても変えられないですよね。私はそういう時は、アニメを見たり、小説を読んだり、映画を見たり、友達と遊んだりして現実逃避をします。こういう人間は多いのではないでしょうか。

自殺する人たちは現在起きていることに対して、改善のしようがない、もう疲れた、何も考えたくない、などと考えて究極の現実逃避の選択、死を選択するのだと思います。現実逃避の先に今より楽になるという、一粒の涙ほどの希望を抱いて。

これを読んでくれた方で「死にたい」と希死念慮がある方はいるのでしょうか。もし、いるのでしたらごめんなさい。私は貴方に希望を抱くような綺麗事を吐けるような人間ではありません。

ここからは、自論です。

私は知らないということがが一番と言っていいほど恐怖を感じます。死という、誰も経験したことがないものであるなら尚更です。もしかしたら、死んだ先に今より辛い世界があるかもしれないでしょう?死に方によってその辛さが多くなったり少なくなったりしたら、今では想像出来ないくらい苦しむことになるかもしれない。そんな恐れ多いことを進んで体験したいとは思いません。生きている期間が長いのであれば、その恐怖を体験する時期が遅くなるでしょう。私は現実主義なので、死という現実から一番目を背けたいと思ってしまいます。だから、生きることも現実逃避です。私は今生きています。生きるということを知っています。なので生きることは死より怖いことではありません。だから、生きている間、生きやすくなるように最善策を尽くす方が死ぬことよりリスクは高くないのです。それならば、私は生きることを選びます。臆病者なので。

でも、人はいずれ死んでしまうのです。

なんて残酷な世界でしょう。

宗教に陶酔する人の気持ちが痛いほどにわかります。

そう考えると、死より宗教に陶酔したほうがずっと救いに思えます。

でも、私は貴方という人間が自分の身を削るほどの思いをしながら生きていることがとても素敵なことだと思うのです。とても人間らしくて、健気で、儚くて、可愛くて、愛おしい。

さあ、明日も一時の命を煌めかせながら、この世界で命を燃やしましょう。貴方だけの生き方で。



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