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2020年3月福島取材㉗/常磐線全通の意味は<終>

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<続き>

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渡ろうと思っていた橋が通行止めで渡れず、引き返して、グーグルマップを頼りにもう少し西の橋を目指して歩いていると、また東電の社宅が見えてきた。「新双葉社宅」と書かれている。

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僕には、まるで「犯行現場」のように見えた。

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敷地内には子供用の小さな自転車などもあり、ここには家族も暮らしていたのだろう。

震災当時、放射性物質がつかないように車にしっかりカバーをかけて(こことは別の社宅だが)、東電社員の家族だけ先に避難したというのは有名な話だ。南相馬の塾講師の女性を寝取った東電復興本社元代表、石崎芳行氏は頑なにそれを否定しているが、元双葉町長はじめ、双葉町民の多くがそう証言いるし、ほぼ全ての車にカバーがかけられていた証拠写真も撮られている以上、加害者である石崎氏に反論の余地などないと思う。

社宅の敷地から出ると、ミニパトが通り過ぎていった。職質されるかと思ったが、こちらの様子を少し伺っただけで去っていった。この日は、他にもパトロールの車がいたが、民間と思われるパトロール車は、こちらに声をかけるでもなく、僕が見えるように少しずつ移動しながら、遠くからこちらの様子を伺っていた。浪江でも似たようなことを経験しているが、はっきり言って非常に気分が悪い。気持ち悪い。警察ではないから、何かあるといけないと思って直接声をかけないのだろうが、不気味以外の何物でもない。

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東電の新双葉社宅の脇には、独身寮と思われる「新双葉寮」もあった。

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疲れていたので中までは見なかったが、はっきり言って心象は非常に悪い。

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元々水田だったと思われる場所にフレコンバッグがたくさん並んでいた。除染中なのか中間貯蔵施設に移動中なのかわからないが、何にしても、たくさんの黒い袋の塊はとても気分が悪い。

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失われた豊穣の大地。

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解体され「放射性廃棄物」へと変わっていく家屋。かつてここで暮らした人たちの思いは。

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埋められたフレコンバッグ。

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疲れ切ってトボトボと何もない双葉駅西口を歩き、駅へ向かった。「特定復興再生拠点区域」なんて、よくもまあ小賢しい意味不明な言葉を考えるものだ。賠償をケチるためだけの棄民政策におかしな名前をつけるな。

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半端ではあるが整備された東側に比べ、ほとんど手のついていない双葉駅西口。聖火リレーに間に合わせるために拙速に準備したことの証。

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あまりにも疲れたので双葉駅で休もうと思うが、この時点では双葉駅構内には待合室もなく、ホームにもベンチがなかった。上の写真は震災前から駅東口にあったコミュニティセンターだが、この日はまだ廃墟で、中に入れる状態ではなかった。やむなく駅前ロータリーにあるベンチに座るが、外であるため非常に寒い。座っているとお尻からゾクゾクと冷えてくる。双葉駅は見た目は立派になったが、トイレは震災前からあったもので、昭和レトロ的な雰囲気さえ漂わせている。

夜ノ森大野双葉、どの駅もはっきり言って不完全でテキトーで、聖火リレーになんとか間に合わせた感がたっぷりで、怒りしか湧いてこなかった。

ガタガタ震えながらただ電車を待っていても仕方ないので、東口をもう少し回ることにする。

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双葉駅東口、渡部商店。

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廃墟。

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100円ショップ。

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薬局。

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崩壊しつつある工場。危険なため立ち入り禁止だ。3月、様々なメディアが双葉駅前から中継を行ったが、ここを映した放送局は1つでもあっただろうか。

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放置された車。

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介護支援事業所。あの時のまま。

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初發神社。

除染した場所とそうでない場所の線量の差がとても激しい。そしてそんな除染してない場所にも入れてしまう。既成事実だけ作って国民を守る気なんてサラサラない日本という国に嫌気が差す。

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…切ない風景だ。家へ帰ろう。

帰りの電車が来て乗り込むと、やはり座席は鉄ちゃんで全部埋まっていた。

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もう、福島第一原発は見えない。

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ドアの脇に立ち、大野駅周辺で線量計を見ると毎時1.21μSv。乗ってる人たちの一体何人が、ここが高線量地帯であることを知ってるだろう。人気YouTuberも週刊文春に記事を書いたフリーライターも、ほとんどの人がこの場所に線量計を持たずにやってきて、復興したのしてないのと騒いでいる。少しくらい調べてから発信しろ。炎上が怖いなら発信なんかするな。

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熊川。

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いわき駅で荷物を回収し、駅前のデパイチで酒をゲットし、帰路に就いた。

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帰りの特急ひたちは、COVID-19の蔓延が深刻化してきたせいか、予約席に人が来ないことが多かった。急遽出張が中止になったのだろう。ちなみに3/15、いわき以北に滞在した(移動時間含む)11.5時間での積算線量は、4.96μSvだった。

帰宅後、現地で出会った少年と連絡をとったが、彼は大熊町の大野駅から、車しか入域してはいけない場所をそうと気付かずに歩き、6国の最も空間線量の高いエリアの近くまで歩いて行ってしまったという。感度の悪いエアカウンターSで、毎時7.45μSvまで上がったというから驚きだ。以前、「大野駅に注意せよ」という記事を書いたが、それはこの少年の話を聞いて注意喚起すべきと思ったからだ。

大熊町役場にも電話をし、駅東口の警戒を呼びかける看板の改善を訴えたが、6/7に再訪した際、しっかり改善されていた。電話した時の態度は最悪だったが、対応してくれた役場職員の人には感謝したい。

常磐線全通は、国民の生命と財産を危険に晒す愚行だとしか思わない。しかし、これからはその恩恵にあずかって取材をすることになる。なんて皮肉だろうか。双葉も大熊も、浪江のように徹底的に解体、更地化が進んでいくと思うが、そうなる前にもっと見ておきたいと思う。そして、作品として残していきたい。

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帰宅後は福島のお酒で一献。2泊3日、なかなか疲れたよ。

<終わり>

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