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2020年3月福島取材⑩/代行バス最後の運行の日

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<続き>

2020年3月。最後の富岡〜浪江間代行バスに乗ろうと思って行ったのが3/5、6日。それからわずか1週間、僕はまた浜通りにいた。

本来ならこの日は、FoE Japanのシンポジウムで作品を展示するため、新幹線で福島市に向かう予定だった。それが新型コロナウイルス、COVID-19の蔓延により中止となってしまった。僕はシンポジウムで行ったついでに、全線開通となった常磐線に乗って双葉や大熊へ行こうと思っていたが、全てパー。しかし、17年11月以来の双葉がどうなっているのか、どうしても見たくなって、またここへ来てしまった。

3月13日、朝4時に起き、青春18切符で鈍行列車に揺られいわきへ。余計な荷物をコインロッカーにしまうべく、いわきで途中下車する。

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いい天気だあ

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富岡終点の電車はこの日が最後。

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大々的にアピールしていたが、僕はこんなポスターを見るたびドン引きしていた。

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いつも以上にホームに人がいる。一眼レフやミラーレスカメラを構え、見るからに鉄ちゃんな人々が多数ホームを歩いている。

そうか、今日は最後の富岡〜浪江間代行バス運行。こんなに人が来るのか…はたして、コインロッカーに荷物をしまって再び乗った常磐線は、まさかの満席だった。こんなことはこれまで10回以上浜通りを訪れて、初めてのことだった。

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竜田駅周辺。

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竜田駅は工事中。ここにも無駄にデカい無人の駅舎を作るのだろうか。

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富岡駅前のこのフレコンバッグだけは何故かずっと置きっ放しだ。

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呆れた人の数。お前ら、もっと早く来いよ…

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こんな行列、富岡で見たことない。乗るのを諦めようかと思った。

自分のテンションがみるみる落ちていくのがわかる。ああ、この中の一体何人が初めてここに来たのだろう。どうして彼らは、こんな時だけここに来るのだろう。もっと早い時期にここを見に来て欲しかった、駅や車両だけでなく周辺も見て欲しい…様々な想いが交錯する。

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いくつかメディアも来ている。こんな時だけ来やがって。

少し駅前を散策する。

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あのガードレールを抜けると、急に線量は0.2を超える。本当に駅周辺のエリアだけが、僕の住むさいたま市とほぼ同じ空間線量だ。

浪江に行くのはやめて富岡を歩こうか、少し逡巡しつつも、最後だからと代行バスを待つ列の最後に並ぶと、目の前に見覚えのある人がいた。取材に訪れていたOur-Planet-TVのHさんだった。Hさんはずっと南相馬に取材で通っている人で、そんなに会話を交わしたわけではないけど、信頼している。

何度も来てはいるけれど、出先で偶然知り合いに会うとやはり嬉しくなってしまう。「いるし!」と訳のわからないツッコミを入れながら、バスへ乗車。初めて一番前の席に座り、補助席まで満員の代行バスは動き出した。

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盛り土…NPO団体、ハッピーロードネットが企画した桜プロジェクトによるものだ。土手を作り桜を植え、向こうに見える中間貯蔵施設を隠すのだろう。

車内では線量計を自撮り棒にくっつけて、ピキピキ鳴らしている人たちがいた。僕も隣にいる人に何か言われるかも、と思いつつ線量計を出す。

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この日は多数人が乗っていて遮蔽されたのか、最高でもこの数値。6マイクロ近くまで上がった3/5とは大違いだ。

すると突然、隣の人が話しかけてきた。

「今、いくつですか?」

アワプラのHさんのインタビューに「以前来た時に見た光景が衝撃で」と話していた人で、この機会にもう一度見に来たと言う。こんな人ばかりならいいんだけどな。

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福島第一原発が見えるこの場所で、車内ではシャッター音が多数響く。去年あたりはそんな人はだいぶ減ってたけど、この日初めて代行バスに乗った人も多いのだろう。

代行バスが浪江駅についた。心なしか、添乗員さんの車内アナウンスにも力がこもっていた。

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Hさんより、明日の双葉駅でのセレモニーのスケジュールを教えてもらう。なかなか錚々たる面子が来るじゃないの。

その後、Hさんはどこにいくのかなと思えば、またバスに乗るらしい。この日、Hさんはずっと代行バスで富岡〜浪江間を往復し、インタビューを繰り返していた。

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浪江に着いたはいいが、実はどこに行くか決めてなかった。富岡に着いた時も、大熊町役場までバスで行って周辺を歩こうかと考えていた。iPadでグーグルマップを眺めながら、そういえば、双葉駅周辺はもう立入規制が緩和されたけど、浪江から歩いていけるのだろうか、行けないような気がしたけど見てみよう…と双葉町との境に向かうことにする。

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3/6にはまだあった建物の解体が始まっていた。ここも更地になるのか…

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ここも…

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ここも解体。11月に来た時は中の片付けは済んでいた。こうしてどこもかしこも解体。全ては東京五輪のために。

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この更地も「有限会社ニーズ」が管理。

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18年12月に訪れた時は震災直後のまま、洗濯物が放置されていたコインランドリーは、再開していた。

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高瀬川。

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歩道のない道をダンプがすり抜けていく。この日は、こんな道ばかりを歩いた。

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この中華屋は人気店のようだ。お腹の弱い僕は昼には食べようと思わないが…

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ここは確か、斎場だったと記憶している。

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放置だ。

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帰還困難区域に向かって歩いているわけだが、この辺の空間線量はそれほどでもない。

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ミニクーパーが…勿体無い。原発事故は国民の生命財産を守らない。

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「この先帰還困難区域につき〜」の看板が出てきたあたりで、徐々に線量が上がってきた。

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そしてホットスポット。

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やはりこう言う場所はホットスポットになりやすい。道路は除染できても、脇の斜面はできない。

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火葬場。綺麗だが廃墟だ。

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案の定、これから双葉町という場所で帰還困難区域のゲートにぶつかった。しかし周りに警備員はおらず、突破しようと思えば出来てしまう。行かないけど。

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道路の真ん中はさほど高くもない。…いや、こんな数値は埼玉では見ないw

ここで、後ろから軽自動車がやってきた。車には何も書かれてないが、パトロールだろうか。しばらく僕の様子を伺ったあと、ただ写真を撮ってるだけと理解したのか、Uターンして去っていった。

その後、近くの諏訪神社へ向かう。

<続く>


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