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酷暑の富岡、浪江、葛尾、都路、大熊、双葉。

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7/31、8/1の2日間、浜通りを取材してきました。

9/21からの岡山での個展に向け取材に行きたいと思っていた矢先、「8月上旬から排気筒の解体が始まる」そんなニュースがありました。場合によっては大量の放射性物質の飛散も予想され、であればその前に取材に行かなきゃなあと思っていたところ、「上旬」ではなく「8月1日」から解体が始まることが判明。但し1日はマスコミを原発構内に招き取材を受け付けるようで、ならばあまり危険な作業はしないだろうと読み、急遽浜通りへ向かいました。

1日目は富岡町を歩きました。飲んだ分全部出たかと思うほど大量の汗をかきました。そして腕と顔が真っ赤で、宿に向かう途中の様々なお店やフロントの人に驚きの表情で迎えられました(笑)。

(震災当時のまま残された富岡町の商店)

諏訪神社や館山天満宮、富岡第二小学校など、10kmほど歩いたけど、沢山の廃墟がある一方、解体や家屋の新築なども増えていて、人によっては復興しつつあると感じるかもなと思いました。1日目に歩いた場所は、空間線量は高くても1.1μSv/h程度でしたが、全体的に首都圏の10〜25倍以上で、僕には復興しつつあるとは到底思えなかったです。

(緑に覆われる富岡第二小)

緑がとにかく綺麗で、富岡第二小学校も緑で覆われてました。今回は、え〜ほん展で出した作品を広げるために来たわけだけど、あの緑がヒントになるのかなあ…暑くてあれこれ考える余裕はなかったけど、うまく広がればいいと思います。

(解体に向け、片付けが始まった冨岡第二小体育館)

(改修工事中の諏訪神社)

2日目も5時起きで、朝イチの代行バスで浪江へ。まさに猛暑で、朝7時半から10kmも歩いた後は、午後はAEON浪江で涼んでいようかと思ってました。

(解体が始まった浪江駅前の中華料理店)

ところが浪江へ向かって代行バスで移動中、急遽飯舘村の知人Sさんから連絡をいただき、ともに浜通りを回ることに。浪江にてミッションを2つこなしたあと、葛尾村や田村市、大熊町、富岡町、双葉町などなど巡り、いわきまで送っていただきました。ありがとうございます。

(田村市都路にて、朽ちてゆくフレコンバッグ)

車内ではいろいろなお話が聞け、DASH村に繋がる帰還困難区域ゲートでは警備員の方から貴重な話が聞けました。片や排気弁付きのマスクで個人線量計を身につけ、片や簡易マスクで丸腰でゲートに立つ2人。同じ場所で働くのに、会社が違うと装備も変わる。直接は聞きませんでしたが、おそらく給与も違います。勤務地は3ヶ月で変わることもあるという。2人は、この先でどんな工事が行われているかもよく知りませんでした。エグい現実ばかり。東電御殿や大熊町役場、大熊食堂ではため息が漏れました。

(同じゲートに立つ2人の警備員。しかし装備がそれぞれ違っている)

(排気筒の解体が始まった福島第一原発)

そして個人的にショックだったのは、途中で寄ったいわきの四倉港が、防潮堤の建設により、初めて訪れた四年前とは様変わりしていたことでした。防災のためとはいえ、さすがにこれは…。蟹洗温泉の風呂からもうあのオーシャンビューが見れないと思うと、やり切れませんでした。

(蟹洗温泉の正面だけ、防潮堤が格子状になっている)

この二日間の詳細はまたいずれ。うまくアウトプットして、いい作品を作りたいと思います。Sさん、どうもありがとうございました!


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