「何もわからない人」など存在しない
ちょっと真面目なことを書いてみます。
テレビで、明石家さんまが重度の認知症の人を指して、「あの人たちは幸せなんや」と言いました。つまり、人生の最後に辛いことも何もかもわからなくなって、幸せだと。多かれ少なかれ、同じように考えてる人はいると思います。
これは非常に危険な考えです。幸せだと思ってるうちはいいですが、何もわからないのに生きている価値はあるのか、といった勘違いへ繋がる可能性もあります。実際、石原慎太郎がそういった発言を行っています。
彼らは何もわからないのではありません。わかっているのに、うまくリアクション出来ないだけです。伝えたいのに、うまく伝えられないだけです。人は意識不明の状態であっても、脳は活動しています。思うように身体が動かず、うまく伝えられないだけです。
薄っぺらなヒューマニズムで言っているのではありません。認知症における中核症状と周辺症状、このメカニズムを理解すればわかります。中核症状である見当識障害と記憶障害、それにより引き起こされる暴力などの周辺症状の数々。こういったメカニズムを理解すれば、彼らが何もわからないのではなく、わかっていても伝えられないだけだとわかります。
僕はよく、認知症の人は空気を読む、といいます。そうでない人の何倍も空気を読みます。認知症で失われたものの代わりに、より鋭敏になる能力もあるのだと感じています。
話は逸れましたが、重度の知的障害者であっても、それは同じだと思います。様々な障害によって失われた(あるいは先天的に存在しない)こともあるでしょう。しかし、たとえうまく表現出来なくとも、その代わりに発達した能力は必ずあります。
生きている限り、何もわからないということはありません。表現出来るか出来ないかの違いだけで、誰もがそれぞれ、きちんと感情を持って自分の人生を生きています。
僕は長年高齢者介護に携わるなかで、そのことを学びました。これまで働いていた職場でも、余裕のあるときは後輩たちにそういった話をしてきました。わからないようでわかっている、そう思うだけで、認知症の人に対する接し方は変わりました。
介護現場の慢性的な人手不足で、新人を教育する機会は失われています。また、綺麗事にこだわってられない過酷な現場の実態もあります。相模原の事件の犯人は、実際に行動に移したという点で明らかに異常ですが、同じように間違った考えを抱く人はたくさんいるように思います。
「何もわからない人」など存在しない。そのことをもっと多くの人に周知するべきだと思います。
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