ごめんね、コロ。

テレビを見ると流れてくる動物虐待のニュース。こんな言い方をすると非難を浴びることもあるかもしれないが、私は人間よりも動物の悲惨なニュースの方が憤りを感じる傾向がある。

相手を懲らしめたいと思う程に。

テレビドラマやドキュメンタリーでも動物の悲しいシーンは条件反射のように涙が止まらない。

思えば、幼少期のトラウマのようなものが大きく影響しているように思う。

小学校低学年の頃に初めて飼った犬がコロだった。

近所の幼なじみの家で産まれた、雑種の犬。茶色い耳と所々にブチ模様。

初めて飼う犬に私も兄も夢中になった。

成長するにつれ、自分と同じくらい大きな犬になった。

それと同時に、小学生の私では散歩に行けないほど力強くなった。散歩は3つ上の兄か、大体は両親が行っていた。

ある日、ミルクをやろうとしたら指を噛まれた。たくさん血が出て、痛くて泣いた。

その頃から、怖くなってコロに触ることができなくなった。

コロは力が強くて、時々綱を切り、脱走をするようになった。

ある雪の日、下校して家の近所まで着くと、別の家の庭にコロがいた。その家の兄弟に雪玉を投げつけられていた。

「コロ!」と私が呼ぶと、コロは私の元へ来た。でも私は怖くてコロに触ることが出来なかった。それでもコロは私について来て、一緒に家に帰った。

その後も脱走が繰り返され、母や知り合いを噛むことがあった。

そんなある日。母が、

「コロを保健所に出そう」

泣きながらそう言った。

「脱走して他の人を噛んだらいけないから」

その頃の私は保健所がどういうところか理解していなかった。

ただわかったのは

コロは死んでしまうのだ。

私も兄も泣いて止めようとした。でも、噛まれてしまっているのも事実で。

その翌日、保健所の人が2人来た。

コロが威嚇するため、少し離れたところから吹き矢のようなもので麻酔を打つ。1度では効かず、2度。

コロはフラフラになって吐いていた。そのままトラックの檻に入れられて、遠くなっていく。

フラフラになりながらもコロはずっと私たちを見ていた。

涙が止まらなかった。

別れてからも兄はこたつの中に入って泣き、私も泣きじゃくっていた。

なんであの雪の日。

私が名前を呼んだらすぐ来てくれた君を撫でてあげることができなかったのか。

噛まれたってなんだって、声をかけたり、なんでもっとそばにいてあげなかったのか。

命を預かることの責任。

コロが死んでしまってやっと分かった。

遅いね。ごめんね。

大人になった今、もっと解決できる方法はたくさんあったのにって後悔してる。

今になっても思い出すたびに涙が止まらない。

そんな私の後悔が、少しでも誰かに届いたら。動物の悲惨なニュースが少しでも減りますように。心からそう思う。





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