ポルノグラフィティという神の話
おそらくこのあとあきれるほど何度もこの日記に登場するだろう。
岡野昭仁と新藤晴一という天才で構成されるこのバンドなくして私の人生は無いのである。
この2人の話をしようにも、ありあまりすぎる感情が邪魔をして言葉にならない。これをどうにか少しずつ文字にしていきたい。
まずはどうしよう。どこから話そう。それくらい彼らから与えられたものは多い。
彼らを知ったきっかけから話していこう。遡ること15年くらい前、姉が歌っていたのはポルノグラフィティの「カルマの坂」だった。歌の途中から歌詞を追い始めてまあなんと悲しい歌だと思っていた。すると「お話はここで終わり ある時代のある場所の物語」で歌は閉じられたのだ。その後冒頭で「ある時代ある場所」と歌われていたのを思い出した。当時の幼い私は衝撃を受けた。純愛ラブストーリーの心中オチくらい衝撃的だった。この表現で伝わるだろうか。
姉にその曲が入っているアルバムを借りて(通称青リンゴ・赤リンゴとよばれるアルバム)当時姉が親に買ってもらったポータブルCDプレーヤーを勝手に借りて何度も繰り返し聴いては当時3人の写真の載った歌詞カードを見つめていた。あの頃から岡野昭仁の手は最高に仕上がっているので全人類が見るべき。
しかしながら私の友人でポルノグラフィティが好きだという人はいなかった。世代も若干ズレていたためか、話が合う人もおらず(姉もアルバムを買ったはいいがそんなにはまってはいなかった)そこで一旦私のポルノフィーバーはひと段落ついた。
これは長くなりそうだ。今暫くお付き合い願いたい。
時は過ぎポルノグラフィティとの出会いから5年後、やっと彼らを好きだと言ってくれた友人が現れた。私は友人とアルバムを聴いては歌い、新曲が出たら紙に歌詞を書いてここがいいとかどうとか語りあった。
あの頃は本当に楽しかった。今のようにすぐ手元で音楽が聴けるような環境ではなかったが、明日友人と話すために家で何度も聴き込む時間こそが楽しかった。
しかしその後、生活環境が変わってしまいその友人とも疎遠になりまた私のポルノフィーバーはまた落ち着いてしまった。ポルノフィーバーってなんか語感がイマイチだな。
さらに時は過ぎ2年後、ポルノグラフィティが好きだと言う私にまた別の友人が私もと声をかけてくれた。彼女もどうやら同世代で好きだと言う人が見つからなかったらしく、「変だと思われたらどうしようと心配していた」と言っていたのを今でも覚えている。好きなんだから変だっていいじゃないか。さて、そのさらに2年後、私はその友人に連れられて初めて横浜アリーナでのライブに行った。
田舎出身の私は関東に住みながらも、都心の存在を信用していなかった。
信用していなかったというのは、東京や神奈川はテレビの向こうの世界で、到底私などという田舎者ではたどり着けないほど遠くにあるものだと感じていたのだ。
思いのほか早くついた会場で目にしたのはライブグッズを身につけた数多幾千のファン。同士を探しても毎度空振りを繰り返していた私にとって驚きに満ちた空間だった。今までどこに隠れていたんだと(今でも隠れすぎだと思う)。
大きな歓声と共に始まる映像。心臓まで響くドラムのイントロ。揃う手拍子。全てが新鮮で輝いていた。一瞬にして心を奪われるとはこういうことを言うのだろう。
その時の興奮と感動がずっとずっと今の今まで続いている。日常でも彼らの歌は常に私を支えてくれる。乗り越えるべき試練の時は必ずそばにいてくれた。
感謝してもしきれない。どうにかお返しをとも思ってもしがない一般人に過ぎない私は彼らの提供するコンテンツを応援することしか出来ない。
しかし彼らは謙虚だ。恐ろしいほどに。今日だってなんだっていうんだあの動画は無料でいいのかいいや良くないこれだけ楽しませてもらって無料でいいわけがないんだ。
お願いしますアミューズ様口座を開いて振込みさせてください。
やっぱり長くなった。簡潔にまとめると、ポルノグラフィティは私の神様だということ。これに尽きる。
今日もふたりが健やかで、明日も健やかでありますように。
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