付き合っちゃえばいいのに_

付き合っちゃえばいいのに。

今日は僕も奥さんも仕事が休みだったので、名古屋駅のそばにあるお茶の専門店に行った。茶葉を蒸らして急須で飲む店で、一口ごとにはっきり味が変わるのが趣き深くて気に入っている。

今日通されたのは一番奥の部屋。そこには四つテーブルがあった。四人掛けが二つと二人掛けが二つ。僕たちは右から二番目の四人掛けのテーブルに座った。

しばらくすると、右側の二人掛けのテーブルに男の子が座った。10代、だろうか。連れはおらず一人らしい。『ドラえもん』ののび太のような丸メガネをかけているが、感じとしては羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』に出てきそうな文化的な香りがする。かばんも皮製の、きんちゃくのようなおしゃれな物で全体的に品がいい。

こんなところに一人とは珍しいなと思い、観察していると、彼はここに来るのははじめてらしい。お茶の淹れ方や付け合わせについて店員さんから丁寧なレクチャーを受け、お漬物のピクルスを頼む。渋いチョイス。『ハチクロ』の顔のわりに声はけっこう低かった。

それからしばらく経って、彼も僕たちも二煎目を飲み終えた頃、女の子が一人来て、左端の二人掛けのテーブルに座った。細いフレームの丸メガネをした彼女は、髪を明るい茶色に染めた『ハチクロ』顔の女の子だった。

僕からみると左から、女の子、空席、僕ら、男の子という順で座っている。左端の女の子と右端の男の子の顔を見比べながら、僕はあることに気が付いた。

二人はとてもよく似ていた。
『ハチクロ』なだけでなく、雰囲気も持ち物も、まとっている空気さえも似ていた。

その時、僕の脳裏に落雷のようにある確信が訪れた。

「彼は彼女に恋をしているに違いない」。

そういえば、彼は十分に一度くらいの頻度で、僕の左側の宙空をみつめていた。右目の際ぎりぎりに彼女の姿が入るくらいの視線だ。それに彼の漬物を食べるペースは恐ろしく遅かった。僕らよりも後に来たのに、しゃべりながら食べている僕らよりずっと遅い。

それで、僕は天啓のように察した。

「彼は今日、彼女に告白しようとしているのだ」と。

頭の中では、すでにこの曲が流れていた。

彼は卒業式当日に彼女に告白しようとしていたに違いない。しかしウィルスの影響で式が中止になった。このタイミングを逃すと、学校が変わって彼らは離ればなれになってしまう。

どうしたら彼女に会えるのだろうか。彼は必死に考えた。そして、彼女の通っているこの店を知った。彼女がいるであろう時間を友人から聞き出し、その少し前に訪れる。そして、飲んだこともないようなお茶を飲んでその時を待つ。

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は 自由に 空も飛べるはず

似合う。スピッツが似合いすぎる。こんな純粋な恋模様にふれるのは久しぶりだった。既婚の40代となると、恋の話を聞くにしても年収がどうとか性格がどうとかややこしい話が多いのだ。

僕はうれしかった。以前にこんな記事を書いたけれど、

天然記念物ものの恋をみつけた気分だった。なんとさわかやな恋愛だろう。左端と右端にはなれた距離もたまらない。

以前は当たり前だと思っていたこうした恋愛が、天然記念物並みに貴重なものだと知った。人生のある若い時期特有の輝き。スピッツが似合うようなシチュエーションは人生においてそうそう訪れるものではないのだ。

そんなことを思いながら店を出て、開口一番、奥さんにこの話をした。

奥さんはわははと笑った後、さほど取り合うことなく、買い物をしにスーパーの鮮魚売り場に直行した。

もちろん、彼が右となりに座って以降の話は僕の妄想だ。
でも僕はあのお茶の店の中で本気でこう思った。

「付き合っちゃえばいいのに」と。

そして、そうなっているんじゃないかと今でも思っている。
妄想かどうかなんて、本当は神様しか知らないのだ。

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