ぼくらのうた_2

悲しいにきまってんじゃん。

8月から一人暮らしをしている。
いろいろあって、奥さんと二人で暮らせなくなったのだ。

この夏は、そのいろいろが本当に大変だった。
でも、それは人に言うことでもないと思い、言っていなかった。
というか、込み入ったこの話をできる気がしなかった。

9月のはじめに大阪の友人に話し、中旬に『魂うた®︎』の仲間たちに話し、そんなふうにして、日常から距離のある人たちから打ち明けていった。

そして、9月の終わりの日に、ふとしたきっかけで職場の人に話すことができた。台風の力もあったのかもしれない。

それまでは奥さんにも黙っていてもらったのだけれど、「話していいよ」と言ったら、翌、10月1日にはフェイスブックに投稿して、より広く知られることとなった。

そう思うと、この話自体は出たがっていたんだな、と思う。

話したくなかったわけではない。どちらかというと話したかった。
でも、このことを話したら、バランスを欠いていろいろ溢れてしまうと思った。それは日常の場でしたいことではなかった。

特に、職場の人たちには言いにくかった。
信頼していないからではなくて、仕事をする場でもあるし、子どもたちもいるし、そんな中で心配や同情の声をかけられたら、どんな顔をしていいかわからないと思ったから。

「悲しいにきまってんじゃん」

という思いがあったし、いまもまだあるので。

奥さんは「別居」という言葉をつかった。
僕自身は使うのを避けていた言葉だった。

その言葉を見て、事実ではあるのだけれど、胸が痛んだ。
僕たちの関係は以前よりもよくなっている気さえするのに、やっぱり悲しい気持ちになった。

フェイスブックに投稿があがって、何人かの友人から優しい言葉が返ってきた。異変に気づいていたけれど、あえて聞かずにいてくれた友達もいた(出たがっていたものは、きちんと表に現れていたのだ)。

とはいえ、悲しんでばかりもいられない。
状況を打開するために、いろいろとしなければならないことがある。

悲しいからこそ。

暮らしの中には、うれしいことや喜ばしいことだってちゃんとあって、だから心はちょっと忙しい。

そんな心といっしょに、毎日、家事と仕事をしながら、なんとかやっています。目下の悩みは、食事をした後に洗い物があることです(すごくめんどくさい)。

そんなわけで、たぶん想像されているよりもげんきです。ありがとう。

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