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うれしい宿題。

宿題といえば、逃げ回るものだと相場が決まっている。
僕の小さい頃からそうだし、ほら、のび太だって、あのアニメの主人公だって、必死になって逃げているじゃあないか。

なのに、今日の僕は宿題がうれしい。夜おそくまで取り組んでいて、このままだと夜通しできちゃいそうだ(ま、寝るけど)。宿題がこんなにうれしいものだなんて思わなかった。

今日は、名古屋から南畑に引っ越してはじめての編曲レッスンだった。
うれしい宿題を出したのは、その編曲の先生だ。

以前にもこんなことを書いたけれど、

それまでほぼ独学でやってきていたので、アカデミックなこのレッスンがとても楽しい。いまは「モーダルインターチェンジ」という言葉からすると車の用語みたいな、コードの使い方にかかわることを教わっている。

今日、先生は「演奏スキル」と「耳のトレーニング」と「理論的な知識」がバランスよく身につくと上達が早いと教えてくれた。僕の独学はずーっと「演奏スキル」に偏っていて、後の二つがなかったのだ。いま、レッスンでその二つを補ってもらうことで、ふわふわして捉えどころがなかった音楽活動に輪郭のようなものができはじめている。

宿題がうれしいのも同じ感覚だ。
「これをやってごらん」と投げかけてもらうことで、いままで意識が及ばなかった領域に目が向く。その投げかけが音楽活動全体をストレッチして、変化を促しているのがわかる。

自由はいいものだとされているけれど、僕は制約が欲しかったんだなあと思う。ちょうどいい制約が与えられることで、やる気が出るし、動きやすくなっている。

そういえば、仕事のほうも自営業から勤め人になって、同じような感覚をおぼえている。朝起きで出かけるのは億劫だけれど、出勤して席に座るとやることが決まっているというのは、なんだかいいなと思えている。

自由を扱うには、自分のほうにもキャパがなくてはならない。
小学生がいきなり微分積分をやれないように、RPGが最初は弱い敵からはじまるように、自分にとってほど良い制約から、だんだんと広い世界へ漕ぎ出していく。そういう学びのほうが僕には合ってるんだろうな。

そして上級者はたぶん、自分で自分にちょうどいい宿題を出すことができるのだと思う。自走しているように見える人は、そういう人たちなのかもしれないね。

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