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思い出私論

録画していた「浦沢直樹の漫勉neo」西炯子回をみていたら、ブックオフで買って以来ほったらかしていたエッセイを思い出して、ふと手にとってみた。タイトルは『一生中2じゃダメかしら?』。私のマインドは「一生五歳で行かせてもろて」なので随分お上品に感じるが、中身はけっこう楽しくオラオラしていたり、すごく冷静に見詰めていたりする。

特に気になったのは第3章「思い出作り」というエッセイ。思い出を「作る」ことの不自然さにフォーカスした文章だ。

西先生は、「思い出」って、何かがあってそれが過去になったとき振り返る。それを言うのだよね。わざわざ作りに行く思い出って海!山!遊園地!て感じで、それはひとまとめにすると「レジャーに出かける」ではないのか。さらに、一面的な考察だと前置きした上で、SNSの発達で今や「思い出」は自分だけのものではなく、他人の思い出と比較されうるようになったことで、人々は他人に見せることを前提としたよくある絵面を欲しがるようになったのでは、と書いている。

これは2012年に出たエッセイだけど、特にSNSの発達〜なんかは、今となっては当たり前に思える言説だろう。それでもコロナ禍のいま、「今年は思い出が作れなかった」と嘆く人は多い。私も思い出を「作る」という表現に違和感があるので「いやいや正確には旅行に行けなかった、友達に会えなかった、じゃねーの」とツッコミを心の中で入れつつも、「あー今年は思い出作れなかったな」とぼやいていたりする。あれれ。違和感あるくせに、私って思い出を作りたいんだな。ちょっと不思議に思ったので、私にとっての「思い出」について考えてみた。


思えば私は、どこまでいっても私の思い出は、私だけのものだと認識している。かんたんに他人と共有したり比べたりできちゃう世界だけど、それでも、誰にも私の思い出は侵せないと思っているし、他人の思い出を侵したり裁いたりしちゃいけないとも思っている。(以前、自分の過去の恋愛の話をしたら「思い出はいつだって綺麗だよね」と返されてなんかめっちゃムカついた)

確かに思い出は「作りたい」。だけど、私の「思い出作り」って、正確には「思い出磨き」だと思う。旅行とか、飲み会とか、ライブとか、再会とか、セックスとか、そういうのは全部私にとって「思い出磨き」のメジャーな起爆剤にすぎなくて(だからつい欲しくなっちゃうのだが)、それをスイッチに、あった出来事を思い返し、箱に入れてウットリしたり、忘れたり、擲ったりする。キラキラ光っていても、泥がべったりくっついていても。起爆剤はちびちび生活のなかに転がっていて、せわしなく爆発しているから毎日ツイッターしてるんだと思う。


思い出の「美化」とはまた違う。「研磨」なのだ。思い出を、つぶつぶの宝石にして、紐を通してネックレスにする?いや違う、私の思い出は皮膚の下にある。時にはありきたりなきっかけから生まれた出来事を、どんどんありきたりの言葉から遠ざけていき、私だけの肉体に、私だけが知覚できる、私だけの体験として落とし込む作業。それを繰り返していくうちにゴツゴツしていたのが取れて滑らかになって、あいまいに、混じり合って、私の体を流れていく。だれかの物語にはなりえない、私だけの体験に磨きあげられて。


べつに、磨きあげられた思い出があるからって明日を頑張れやしない。でも、思い出を作る(私にとっては「研磨する」)作業は、たしかに私がこの世界に存在することを、忘れたころに教えてくれるなあと思う。だから私は、なんだかんだ思い出作りを希求しているのかもしれない。

思い出って、なんだか「欲しいけどいつまで経っても買わない化粧品」に似ていると思う。ウダウダ考えても仕方ない、どうせくちびるは一つしかないし、目は二つしかないし、いつか死ぬし。


考えても、迷っても、思い出しても仕方ないことをウダウダ考えて、べつに生きる活力も湧きやしないが、私は世界に接続しているのだと自覚的になれる。そして、寝不足の頭で手持ちの化粧品に手を伸ばし、ああ欲しいなあ、欲しいなあと思いながら電車に飛び乗る。ラインを開く、ツイッターを開く、何回めかわからない化粧品のレビューを覗く。そうこうしているうちに、目的地に着いている。

セブンでフィナンシェを買います