COVID-19で自分を好きになった

コロナウイルスの影響はもれなくわたしにも及んでいて基本的に家を出ない生活を始めて約1週間が経つ。

ここから

それまでも3月後半からはほとんど家を出ていなかったが週3回のアルバイトには出ていた。
4月7日の緊急事態宣言に伴ってアルバイト先は休業要請の対象外ではあったものの従業員の安全を第一に考えてくれて休業になった。
正直マスクをしていたとはいえ電車に乗るにもアルバイト先で人と話すにも自分がうつる/他人にうつす感染リスクが怖いなあと感じていたので休業自体はとてもありがたかった。
ただ、休業が決まった時にわたしを襲った気持ちは外に出なくても良い安堵より社会とのつながりを失うことの恐怖と不安感だった。
これはわたしにとってはとても意外だったことで、なぜなら元々インドアで家を出ないことが苦でないからである。実際、アルバイトだけが家を出る用事だった時は家にいる時間を存分に楽しんでいた。


好きなだけ寝て昼頃起きてきて好きなものを食べる。それからはYouTubeを見たり音楽をかけてのってみたりちょっとES書いたりしてうとうとしてきたら寝る、起きれば夕ご飯、SNSを見たり映画を見ているうちに寝落ちする。


怠惰を絵に描いたような生活、それでも好きなことはできて気ままなのんびりした時間を過ごしていた。
でもそれは社会生活を送る「ちゃんとした自分」という安心感あってこそのものだったのだ
社会とのつながりを失う不安というのは具体的にいえばその間給料が入ってくるのか、次に外に出るのはいつになるのか、人と話すのはいつになるのかがわからないという不安だった。わからないということはとても不安です。
大好きだったNetflixも開く気がしばらく起きなかった。

しかしコロナウイルスのわたしへの影響は大したものではない、というのはわたしは実家で暮らす学生である。
世帯主はコロナによって仕事がなくなった、なんてことはないのでわたし自身に給料が入って来なくても生命活動には何も困らない。
家の中には家族がいるので話し相手もいる。
それでもこれだけの不安に駆られたのだ。これらの要素が生活に直結する人たちはどれだけ不安だろうか、そして寝ても覚めてもそんな不安に駆られている人が今でもいるだろうことは容易に想像がつく。

(ちなみに後から休業手当を出してくれることも決まった!ありがとうアルバイト先。しかし雇用調整助成金を頼りにしていると思うのだけれどちゃんと”スピード感をもって”支給してくれるかな、政府。)

ここまでエピローグです

さあ、時間を戻して今の話をしましょう。そもそもなぜこんな文章を書き始めたかというと社会生活が断たれたことで今までにない規則正しい生活という思わぬ収穫があったから。

自粛生活が始まってからの1週間、はじめは最初の不安感を抱えたままで何もやる気が起きなくて1日中寝るか食べるか飲むか携帯見るかだけしていた。
これは多分天気が悪かったのもある。(ムードにやられたのかもしれないし実は低気圧に弱い体質なのかも。)
そう思うのは3日目に訪れた快晴がわたしの生活を変えたから!
その日顔を出してくれた太陽がわたしの人生を照らしたと言っても過言ではないかもしれない!
この日も昼まで寝ているのは変わらなかったけれどわたしを変えたのは夕方からの行動。部屋を全部掃除してこれからの自粛生活でやりたいことを書き出して明日からの生活の計画を練った。
今思えば自粛生活が始まるずーーっと前に海外から取り寄せて楽しみにしていた化粧品が届いたこととそれを届けるために夜少し友達に会えたのも気分よくしてくれたな。快晴だけじゃ人は変わらないか。過言だった。


それからわたしは9時半には起き、ご飯を食べたら軽く化粧をして着替えて散歩に行き、帰ってきてストレッチをし、昼には豆からコーヒーを淹れ、無料で聴講できるオンライン授業を受講し、好きなコンテンツを見る生活をしています。


それまで決まった用事がない日は11時以前に起きることがまずなかったため「朝」といえる時間に起きていることが嬉しい。
何もない日は1日中すっぴんパジャマだったから服を着替え軽く化粧をしていることも嬉しい。
休みの日の歩数は2桁、体のポジションはほとんど変わりませんだったのに4000歩近く歩いてストレッチまでしている。休みなのに。
コーヒーは単純に淹れる作業が好き。
勉強はもともと嫌いではなかったが休みの日は生産的なことをしている暇がなかった。ゴロゴロするのに忙しくて。好きな勉強ができるのは楽しい。プログラミングに関する知識もつけたいなーなんて思っている。
というような感じでプロダクティブな生活を送れているお陰で自己肯定感は爆上がりです。LOVE わたし。大好き自分。

今日はついに6時に目が覚めました。鳥が鳴いていた。9時半ごろ散歩に行ったのだけど土曜日の朝なのに結構犬の散歩やランニングしている人がいてびっくりした。普段ならもっといろんな人がいるのかな。朝の社会を知りませんでした。みんなえらいなー。

気づいたこと

人生で一番健康的な朝を過ごして感じたことはわたしは頑張るのキャパがとことん狭いんだなあということとそれでも頑張ることは欲しいんだなあということ。
社会生活がある時は社会生活を頑張っているので家では溶けてるんですね。コーヒーや勉強なんかは良い例だけど家で溶けてた時は好きなことすらできてなかった
でも社会生活がないと外に頑張ることがないので家でのことを頑張れる、というか頑張る。

思い返せば大学受験中も最後の方は学校もなく塾など外部に行く場所もなかったから今とだいぶ似たような生活だったと思うけど普通に勉強はできたしな。
みんなと比べてどれくらい勉強量を確保できていたかはわからないけれど。
あとはメッセージやビデオ通話で友達とはコミュニケーションが取れるのでそこまで人とのコミュニケーションは減らないというのも発見。みんなが自粛中の今ならではだろうけどね。
これからはこういう世界になっていくんだーなんて意見もネット上では見るけどわたしみたいな凡人にはまだまだこれがスタンダードになる世界は想像がつかないな。前の生活は恋しいし。


そうそう、この文章を書こうと思ったのもこれらの健康的な生活の行き着いた先です。こんな長い文章自発的には初めて書いた。
朝6時に自然と目が覚めたことにあまりに感動して感情が昂ぶったからどうしても頭にぽんぽん出てくる考えをどこかに置きたくなった。
思いつくままに書くと話はあちこちいくしだらだらした文章になるということがわかりました。改行もほとんどしていないしパソコンで書いているから携帯から見たら余計に読みづらいだろうな。
それでも良いアウトプットになってすっきりした。
※後から携帯ではどう見えるのかを確認しながら適当に改行してみた。段落を変えるという目的以外での改行は慣れなくて気持ちが悪い。

さいごに

もしも、万が一、これを誰かが読んでいたとしたら、わたしはハッピー!なんて文章読ませて嫌な気持ちにするかもしれないので。

もちろんわたしは自粛要請(とは?)によって影響をほとんど受けてない非常にラッキーな立場だということもわかっているし今人々がおかれている状況について知ろうとしていて怒る時は怒っています。社会や政治についてもっと勉強はしなければならない。医療関係者の方々には感謝しています。わたしに直接できることは家にいることしかないから朝の散歩以外は家にいます。まずは今の状況が少しでも良くなること、そしてこれを機に様々な社会問題が政治の考慮にちゃんと入れられてみんながより良い生活を送れるようになることを願っています。

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