知らない土地で暮らす
私は、ひとり旅ですら、知らない土地にいくのをためらうことはほとんどない。
知らない風景、人のもつ文化に触れることができると思うとわくわくする。
その土地が持つ空気感に触れると心が躍る。
旅でネガティブになることはほとんどないのだ。
だが、就職する企業から、勤務地が示達され、私はポジティブな感情になれなかった。
1度しか訪れたことのない土地、友人なんておらず、勝手知った同期も少ない。
配属された部署に同期が少ないこともあるのかもしれないが、初めてどこかへ行くことに悲観的になった。
私は、大学生になるときに地元である九州から関西へ、ひとりで移り住んだ。
友人はおらず、いるのはいざというときに頼れる程度の親戚だけ。
結果論として、ひとりで関西に来たことは正解だった。
人見知りで内気だが、言いたいことはちゃんとあった私にとって、人見知りと内気という殻を破る環境だったのだ。
知らない土地へ行くことは、人を成長させる。
その意見には賛成だ。
だから、私は全国転勤ができる企業を選んだのだ。一つの場所の価値観に囚われたくはないから。
なら、なぜ、次の土地へ行くことを躊躇うのか?
案外、成長したと思っていても、
私は臆病者なのだ。
その土地の人に他所から来た物珍しい観光客と見られるのはよくても、
その土地の人の中のコミュニティで暮らすことに抵抗感があるのだ。
私の価値観、ことば、振る舞いは受け入れてもらえるのか。
私は、その土地の人の価値観、ことば、振る舞いを受け入れられるのか。
そのあたりに悲観的なのだ。
関西で生きると決めたとき、
私は関西弁を話すことを徹底的に意識した。その土地の人に同化しようとしたのだ。
ある人に言われた。
なぜ貴女は関西弁なのかと。
その土地の人と心を通わせたくて、少しでも近い位置にいたくて、ことばを合わせたのだ。
私は、私がやったことが、私自身のアイデンティティを壊したとは思わない。
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