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知らないことには言わない方がよいこともある

定期的に思うことですが、タイトル通りに思うようなことをよく見かけます。
Twitter、facebook、Instagram、その他いたるところで。

誰かの投稿に被せるような罵詈雑言や、勝手な思い込みでの辛辣なコメント。
そう思うのは、ご自身の中で条件反射的にそう思うところまでは誰にも制御はできないものなのでしょう。

でもね。
あえてそれを表で書くかどうか。
そこは一旦冷静になって思いとどまることが出来る方が、きっとよいのだと思います。
それが思いとどまれない人、そもそもそんな考え方を全く思いつかない人もいらっしゃるのでしょうけど。

事例をあげると、揚げ足取りされるリスクも高いので難しいですけど。

人はね、それぞれその人特有の「固定観念」があって、その「偏光フィルター」みたいなものをかけた状態で物事を見てしまうのですよ。
自分にとって分かり易い都合の良い情報だけを見てその他の情報を全く見ない、見ようとしない、見たとしても無意識的に無視をする。そのくらい結構頑固な「偏光フィルター」と「条件反射」で思考が短絡的に出来上がってしまうものなのです。

自分が「常識」だと思っていることは、実は常識でも何でもなく、違う角度から同じことを見たとして全く違う「常識」的な物の見方もあったりすること。
そういうことがある、存在している、ということを少しでも頭の隅に理解できる余地を残しておかないと、正しいと思い込んでいる判断が全くの誤りであったりすることも多いのです。

ひとつの話を聞いて、すぐに反応する。
1対1で直接相手とお話しているときは、それでもよいのでしょう。
人に合わせて話を聞く、話をあわせて聞いてあげる。
そういうことも必要です。共感して寄り添う。

不特定多数から見えるところで、片一方の見方にひっぱられた事を言うのは、その相手だけに返事をしているようで、別の人に違った影響を与えてしまうことにつながったりします。
悪気はない、というかもしれませんが、悪気がないのが一番最悪の結果を生むこともあるのです。

不確かな情報については(不確かかどうかすら判断が最初に間違うかもしれませんが)、それが業務だったりで対処しなければいけない人でもない限り、不用意に反応しない方が、世の中的にはうまく行くことの方が多いと思います。

おそらくこの言い方だと、伝わって欲しい層にはきっと響かないのだろうとは思いますが、なんでもわかりやすい方向に解釈するのは大抵は間違いだということは知っておいて欲しいと思う次第です。





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