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【オランダ便り⑧ 働き方、個人主義】

昨今の日本(特に、東京)は大雪ですが、昨年12月はオランダも大雪。そこにはどや顔の自分がいました。東北時代に雪とは心身馴染んでおり、通勤を含め対策はバッチリ。豪雪当日もスムーズに会社に到着し、どや顔で「大雪大変だったね」なんて世間話をしようと思ったら、衝撃。自分以外のチームメンバー(全員オランダ人)がいません、笑


先日、オランダは人が飛ぶくらいの突風(以下、動画参照)。大雨含む台風に比べれば、マシだわと、日本のサラリーマン根性よろしく、オフィスに到着したら、ほぼ同様の状況。

してやられました。何と学ばない自分。そもそも会社に行くべきだという先入観を前提に、どうやってトラブルなく行く/帰るかしか考えておらず、「そもそも行かない」ことには考えが及んでません。「こんな中、来ましたor遅くまで働きました」という人によっては誇るだろう(昔の自分も?)サラリーマン根性は、評価されるどころか、むしろ、在宅勤務した同僚から「なぜ会社に行ったの?」と、状況判断力がないと言わんばかりの残念な状況に、笑。思い込みとコミュニケーション不足を痛感した機会、何とも学びです。


現在働くオランダの会社は社員全員在宅勤務、フレックスOK。日本では必要な場合もあるだろう正当化や理由(育児、介護等)も不要(コミュニケーションを取った上で)。プロとして自分の生産性、アウトプットに責任を持てば、働き方は縛られません。オフィスに来ていても、よくカフェに行くし、社内のジムはどの時間帯もよくいるし、買い物袋をぶら下げて戻ってくることも多し。


自分も「サボり」と思われると当初半年間ビビっていましたが、業務中に行き詰った/リフレッシュしたい時に、社内のジムに思い切って行き始めたら、リフレッシュして業務ははかどるし、アイデアも湧くワク。すっかりハマってしまいました。


残念なことに、オランダ人の同僚に日本出身ということを伝えると、最初に出る話題が日本=Karoshiという不名誉な場合も。その話題と関連して、彼らにサービス残業という概念を説明することになったのですが、先ず、①Job description以上に働く=残業に対して、圧倒的な負/悪のイメージ(ただ、彼らもプロとして必要な時はします)、そして、②ただでさえ、そもそも十分過ぎるほどクレイジーな残業という行為を行ったにも関わらず、その対価が支払われないというダブルパンチ、二重苦は彼らの想像をはるかに超えるらしいです。


以下のお話は、現在働くオランダ企業1社での本社経験&そこの同僚がサンプルなので、どこまで一般化出来るかは相当に割り引いてください。オランダ−日本という両地域の差よりも、そもそも企業規模、業種、そして個社間等の差の方が大きい場合も当然あると思います。


日本でもオランダでも同じ金融で働いていて、社員の能力という観点で、例えば、言語関連(特に、英語。議論、プレゼン等も)運用能力の差を感じることはありますが、金融実務における能力差、本質的な違いを感じた経験はありません。後者については、人材もツールも国際的に流動化しているので、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。


やはり、異なるのは、①仕事の完成度(リスク許容度)に関する心持、見極めのタイミング、そして②労働観でしょうか。


①に関し、例えば、仕事の完成度について、肌感覚で、日本にいた時は個人が割けるリソースは割けるだけ割いて99%を目指すイメージ。オランダでは、本質が整っていれば、80-90%でGo?とか、後は状況に応じて上下する。


自分が日本で早朝、深夜、はたまた時に休日働かざるを得なかったのは、そもそも自分の生産性が低い点を認めるとしても、90%の完成度を95%とか、限りなく99%に近づけるための「作業」や「所作、作法」に時間を取られていたから。要は、頭をあまり使わなかったり、必要性の低そうなもの。例えば、資料の「てにをは」、「誤字脱字」チェック、「体裁」、「見栄え」のブラッシュアップ、リスク洗い出しとその対応策は網羅的&深い=「いいね」みたいな発想(優先順位の希薄さ、そのリスクまで本当に考える必要ある?)、意思決定に関連薄い関係者だけど、前例踏襲で行う説明等々。


オランダ人の同僚から、「例えば、9-17時まで本当に必要なことに集中したら、もう心身エナジーないよ。だから、有限な心身のリソースに基づいて、優先すること&やらないことを決める。案件のクローズ間際とか止むを得ない時もあるけど、原則、その時間以降働くのって、本当に非生産的だし、かえってミスも生まれたりするし、アイデアも出なくない?というか、無理!」と言われて、妙に納得感がありました。


99%や100%を目指すからこそ出る洗練さ、繊細さ、細部に宿る美みたいなものは重要で価値があると思いますが、常にそこにこだわり過ぎなくてもよいのではないか、その裏で犠牲になる何か(個人の心身とか)、何が本質で大切なのか、にも十分な想像力と目が向いたらなー、という雑感です。


日本のプロダクトやサービスは安くてクオリティが高くてすごい、ある種の技術信仰、裏返せば過剰品質や犠牲の上に成り立つという昨今の問題も、ここに一端がある気がします。オランダでは、24時間365日営業のサービスも、安くておいしい牛丼も、コンビニも、細かい再配達時間指定もない。日用品のレベル例えば、ラップが張り付かない、ボールペンのインクの出が悪いとか日常茶飯事。ただ、なければないで生きていけるのだと。そして、日本に行った外国人の知人が口にするのは、「日本=高いって思っていたけど、むしろ宿泊は世界の大都市より安いし、コンビニであのクオリティのサンドイッチが激安だし(経済水準大差ないオランダでは、確かに安くて4−500円で日本より圧倒的低品質、笑)、ホスピタリティ、おもてなしに溢れながら、レストランではチップ必要ない。すごいけど、逆にそれでなぜ日本は大丈夫なのか不安だと」、笑。本当は、大丈夫じゃないのかもしれません。


②の労働観について、ここまで極端でないし、二元論でもないですが、オランダでは、労働=辛い、厄介という節がある(だから、合理性、効率性は自然と重んじられる)。日本では、労働を通じた喜び、自己実現という側面も大きい(逆に、労働=善、美化されすぎて、重荷になることも)。


どちらが正しい、善悪では決してないと思います。私も自分が幸せで意義があるように、いいとこ取り出来たらというのが下心で、目標です。


オランダの自由な雰囲気に触れて実感したのは、仕事や働くというのは手段であり、人生の一部に過ぎないということ。そして、その仕事や働くという手段はしなやかで、多様なライフステージにおいてフレキシブルに変わるということです。そういう在り方がソフト、ハード両面で支えられている感じがします。


個人的に再認識したのは、仕事すべき、働くべきという点から出発するのではなく、先ず、人生をどう有意義に過ごすか、生きるかがあって、その手段として、仕事や働くを選ぶ人がいてもよい。一方で、仕事や働く手段が目的化、美化、前提視されたり、その追求度合いは人によって異なること(365日24時間超働きたい人と、まったりしたい人)、個人や組織の美学が押し付けられず、多様な価値観を許容するという感じでしょうか。私も、今のところ、働くこと、仕事という手段は魅力的だなと思い、選び続けています。


オランダ人はこの辺のバランスの取り方が上手いと思います。それはオランダのビジネスパーソンの幸福度が世界一高い(ADP調査)ということにも表れていると言えます。


そして、日本では一度決めた選択や役割は固定化されがちで、時に長続きする方がよいという価値観すらもありそうな気がしますが、まさにライフシフトの通り、人生100年時代&ライフステージはますます多様化します。なので、一度決めた選択はフレキシブルに明日でも変わるかもしれないし、そうであってよい。働き方の度合い(がっつりからまったり)のレベルもあれば、働く手段自体が変わることも(起業、転職、休職等)。私も主夫になる可能性はいつでもある訳です。


ちなみに、専業主婦/夫というあり方に違和感を持つオランダの方も複数いたので、オランダでは「働くべき」という前提や価値観が実は強いのかもしれません。つまり、オランダも当然に完璧ではないし、正解はどこにもないのだと。


例えば、在宅勤務が良い悪いではなく、オランダのここがいい、日本のここが悪いでもなく、各自がありたい姿を実現できるための多様な選択肢をどうしたら確保できるか、力を注いでいきたい領域です。夫婦別姓/同姓選択制の議論とも似ているのですが、そういうオプションやあり方が実際に存在することが共有され、その中から各自が選べればフェアで素敵だなと。つまり、オプションが選べる上で、オフィスで絶対働きたい、長時間労働でこそ価値を提供できる方は自由に好きにそうしてもよいと思うのです。ただ、そうあるべきという価値観が社会的、環境的、雰囲気・空気的に押し付けられるのを避けることが本質だと思います。


最近、オランダの個人主義の方が自分には合うなと実感しています。日本では、というより、特に自分の場合、先ず、こういうことをしたら「相手、周囲、社会がどう思うか」という他者、集団や場の反応を想像する、空気を読むことが出発点。そこに迷惑やトラブルがないように行動し、その範囲内で個人の楽しみや心地よさを実現しようとしてきました。一方、これは主観ですが、オランダでは先ず、自分/個人のご機嫌、心地よさありき。それを実現した結果、もし他人のご機嫌や心地よさに抵触したら、そこで初めて議論して、お互いに心地よい環境、妥協点を探るようなイメージを受けるのです。だから、オフィスで鼻声で歌い始めるし、デスクでニンジンやリンゴをボリボリ食べたり、電話も聞こえないほどの本格的で重厚なヘッドバンド型ノイズキャンセリングヘッドセットで集中したり、他の方の電話を代わりに取ることはないし、バランスボールが飛んで来たり、野球やゴム鉄砲合戦が繰り広げられたりする。もし迷惑に感じれば、問題が出れば、そこで議論すればよいのだと。


個人的には、何かをする前にお互いに空気を読みあい、探り合い、想像しまくって心身疲れるより、この個人主義の方が気楽にいけそうだなと思うことがよくあります。一方、BCG御立さんの記事にもあるように、グローバルで不利と捉えられていそうな、「日本人の空気、場を読む力」をむしろ強みとして生かせるというのは自分も何度かオランダで実感しております。

ここも欲張りですが、いいとこ取り出来るよう努めます、笑


自分のご機嫌は自分で取る!」オランダ人は自分の機嫌を取るのが上手。これはすっかりファンになった「禅と経営」の飯塚先生のお言葉にもつながります。禅の要素を絡めながら、非常に痛快、明快なお話がポッドキャストで無料で聴ける時代にただただ感謝。第8話 「悩みとの付き合い方」については特に何度も聞いています。

今年中に少なくともオランダは離れることになり、メインシナリオは日本に戻ることになると思います。これまでは、自他認める八方美人、いい顔しいであり、自己よりも「他者、社会のために何かをすべき」という先入観、思い込みが強かった人間です。もしかしたら、そういう価値観を無意識のうちに、他人に押し付けてすらしまっていたのかもしれません。そうだったら、本当にごめんなさい。


これまでも今からも色々な形で、オランダの事例やあり方、オランダにいて気付いたこと等を共有出来たらと考えています。今、はっきり言えるのは、それは先ず、当面、日本で生きていく可能性が高い自分のためです。その結果として、もちろん他者や社会のためになればor他者が、社会が変われば嬉しいですし、万々歳です。これまでの他者、社会ファースト、自己セカンドという考えとは真逆です。


自己中とみられるのかもしれませんが、自分の場合はようやく、幸福や意義を含めて、先ず&継続的に自分が充実してから、他者や社会のことを十分に考え、行動できることに遅いかもしれませんがようやく気付きました、笑。これまでは、自分をすり減らしてでも他者や社会に尽くすべき、そしてそこから跳ね返るエネルギーでもっとパワフルに頑張れると思い込み、ボロボロだったのかもしれません。


以下でこれから述べることを含め、私は自分がこれまで強く固く信じてきたものがオランダで、ことごとく崩れ去り、何度かアイデンティティの崩壊を経験しました、笑(現在は、それで結果的によかったと感じてます)。先入観や思い込み=悪いと言っている訳ではなく、捉え方次第と感じています。私の場合は、例として挙げたような思い込み、先入観で他者を傷付けたり、機会を逸したと感じたので、その思い込みは取り払いましたが、私が持つ思い込みの中でも強く信じ続けたいものはまだあって、それは信念、意志、自信ともつながるものと考えています。


これまで私は、他者を変える(のために役立ちたい)、社会を変える(をよくしたい)という意識や力学(自分→他者、社会)が強く、捉え方によっては正義を振りかざしていたようなタイプです。そして、上記で「他者が、社会が変われば」と表現したのも能動的でないように聞こえるかもしれません。ただ、これは、とりわけ「他者を変える」のがいかに難しいどころか、無理だし、おこがましいことであるか、そして、これまで思い込んできた「他者のためによかれと思ってやっている行為/アドバイス」がプラス、せめてゼロ(でとどまってほしかった。。。)、どころか、マイナス(迷惑、押し付け、恩着せがましい)になり得るし、実際なっていたことを痛感しているからにほかなりません。


以下の例で言えば、自分の場合、左側の【ありたい姿】であろうと思った行為が、受け手にとっては右側の【実態、現実】になっていた事実ほど辛いことはありません。


【ありたい姿】→【実態、現実】
気遣い、アドバイス、情報提供 → 押し付け、押し売り、恩着せがましい、上から目線
幹事 → 支配欲の塊、場を自分でコントロールしたい
自己表現 → 自己顕示欲、承認欲求、自慢
自分を大切に → 自己中、自分勝手、ナルシスト、ワガママ、自意識過剰
利他、社会のために、正義 → 偽善、嘘くさい、迷惑
熱さ、熱量 → 暑苦しい、ウザい、意識高い系


決して自分を卑下している訳ではありません、笑。右側になっていたことに自分で気付く、自己認識を出来ているだけでもまだマシと思うのは甘いかそれこそ自意識過剰なのかもしれませんが、左側の【ありたい姿】が実現出来るに越したことはございません。この表裏左右一体の何が、表裏左右を分けるのか、気楽に気ままに探究していきたい今日この頃です。今のところは、ここで例に出したいくつかの思い込みや先入観と、自分をよく見せたいという精神性、前提条件・認識共有(広く言えば、コミュニケーション)の不足やズレ、そもそものキャラクター等々が背景にあるだろうと考えています。


ということで、自分のことすらまだ十分に理解しきれていない、これまで誤魔化し続けてきたのに、他人を分かる、理解した気になるなんておこがましいとようやく気付きました。もちろん、理解しようとする、敬意を払う、想像しようとする努力は重ねたいと思っています。


アドバイスは求められたらするもの。なので、相手が必要だろうと想像して行うアドバイスは、時に押し付けや恩着せがましい可能性があるのだと。


また、他者から問題や課題を聞くと、即、自分が解決方法を考えるべきと思い込んできましたが、他者は問題や課題を共有するだけで、相手は満たされたり、相手自ら問題や課題がそもそも気にする必要がないと気付いたり、自己解決したりがあるのだなと。


この「寄り添う」という点こそ、コンサル/アドバイザリー と コーチングの違いの一つなのかなと、解釈しております。前者のコンサル/アドバイス的なマインドに満ち満ちていたどころか、問題=即解決、アドバイスすべきとトレーニングすらしてきた、他者を変えようとしてきた性分なので、後者の寄り添う点を得たいなと思う今日この頃です。言うは易し、行うは超絶難しいです。


そして、これは人間関係への先入観も影響しています。これまた思い込みで、親しい仲にも礼儀ありというのは、何故か自分の場合、友人や社会的なつながりにおいてのみ強く意識してきてしまいましたが、最も身近で大切な他人である家族こそも、そうなのだなとしみじみ痛感しております。


正直、家族=一心同体、溶け合う、仲良い方がよい、何でも助け合うみたいな、これまた自分の原体験からくる先入観をずっと持ってきたし、無意識のうちに押し付けていたこともあっただろうと思うのですが、結局、どんなに大切な家族ですら自分以外は個として独立した人格、他人であり、その人には当然になれないし、押し付けるなんてもってのほか。


なので、他者を、社会を変えるという心持よりも、自分が変わる、結果的に他者も社会も変わるという心持でいたいと自分は、最近思ってます。他者や社会の視点はやはり持ち続けたいです。


他者を尊重した上で、求められていないのに無理にアドバイスをしない、押し付けない。最後は本人自身が感じて、考えて、本人「が」変わるしかないのだと。


私以外、私じゃないの(当たり前だけどね)」

最近よく聴いてます、笑。マスメディア情報で勝手な先入観を持ち続けた結果、彼らの曲を聴くことすらしなかった、音楽性すら勝手に否定していたのですが、ふとしたきっかけで聞いたら、その音楽性には魅了されてしまいました。ただ、個人的に不貞行為は賛同できません。日本社会では、彼らの音楽を聴いていると言ったら、批判されるのかしら。音楽性と人間性が切り分けられるのか興味深い議論かもしれません。


オランダという小国だけど存在感は大きい国のメリットなのか、ミーハー感満載ながら、ライブやイベントでの、著名な方との距離が非常に近く、その存在感やパフォーマンスに圧倒されました(X JAPAN`のYOSHIKIさんに握手頂いたり、キングコング西野さん、One ok rock, Lady Gagaさんのイベントに参加出来たり。)。特に、ワンオクは、私も同じTakahiroのはずなのに、その大きな差に勝手に悔しがる&妻はステージのTakaに夢中で、隣のTakaは見向きもされず、笑)、


隣の芝はどこまでいっても青いことを実感し、もう誰かや社会的何かと比べる相対的世界に生きないようにしていますが、やはり、刺激は受けますよね!


ということで、まとめると、ドラムを習い始めようと思います。出来ないことは可能性でもある訳で!上述の方々のドラムもかっこいいし、実は、東北で一緒だった後輩(七倉くん)のドラムを一度生で見たとき、本当にクールだったのも大きいんだろうな。


話の方向性がよく分からなくなってきました、笑


最後、結局、辻って色々、口だけじゃんと言われると事実で辛いのですが、無言より口だけでもまだマシ、と甘ちゃんですし、


昨年したコミットメントにつき、①若手による親元の組織改善プロジェクトは、優秀な他メンバーの尽力で提言を形にし、関係部署に共有の上、反応待ちです。②オランダでの学びの体系化、共有については、第1段階として、これまで10名弱の方にオランダで感じていることを含めたライフストーリーを共有頂きました。人生、仕事、恋愛、家族、宗教観等多岐に渡るストーリーに心を大きく動かされました。第2段階は、少し具体的に、日本とオランダ間の比較を含む「働き方」にフォーカスしたインタビューを現在進めています。)


その他、関心領域である、宇宙、東北、3.11、欧州の日本食、ダイバーシティ推進、生き方・働き方、アートについても出来ることはガリガリと。


以上の通り、泥臭く地道に動いており、遅々として進んでいますので、生暖かく見守り頂き、今後の成果を楽しみに&厳しくご判断頂けると嬉しいです。


ただ、大雪の話を東北の粉雪のようにサラッとしようとしたら、最後、ベタ雪のように重くなってしまいました。長くなってごめんなさい!と謝るのは日本的なので、ここは、読んでくれて有難うございます、と締めくくることにします。


レターポットでコメント頂ける方がいれば、そちらも有難くお待ちしております!笑

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