私を知らない人にはわからなくていい

「過ぎたことを振り返らない」私のポリシーですかね。忘れるのとは、また少し違う。いってみれば妬みやら嫉妬(同じか・・・)が無いということです。

ただ、自分がされて嫌だったことは人にもしないし、人が嫌な事をされているのを見て見ぬふりは出来なかったなぁ。とただ、覚えているだけです。そんな事があったなぁと。それを、どう捉えるかは他人事として捉えるかは?難しい話ですが・・・・。

巷にあふれる情報(人の死や事故のニュース)を自分事と捉えすぎている人もいますよね。心の病。それとは別にメッセージ性のある広告やらCM、いわゆるサブリミナル効果。ここが、区別がつかないでいることはやはりNGだと思うんですよね。いわゆる洗脳というやつですか?私に限って言えば、単純ではない。ただそれだけです。現実に起きてない事を信じすぎるほど簡単ではないということ。

尊敬する作家 柳田邦男さん。医療系を目指している私が愛読していた本の中に、人の死に関する記述がありました。お子さんを自死で亡くした彼の本「犠牲 サクリファイス」だったかな?他の本だったかもしれませんが

一人称の死、二人称の死、三人称の死。一人称の死はわかりますよね。自死です。二人称の死は、近しい人の死、家族であったり友人であったり自分に関わりのある人の死です。三人称の死は、自分に全く関係ない人の死。

世の中には三人称の死が溢れています。ただ、医療系を目指す私とするならば、考えていなくてはならないのは医療者がどのように家族と向き合うのか?グリーフケアについて、これからも学んでいけたらとは思っています。ただ、ここでグリーフケアというくくりですが、間違ってはいけない事があると思うのです。それは扱える領域、踏み込める領域にはお金が発生してはいけないという事です。いや、物事の対価はわかるのです。それは当然の世の中の成り立ち。しかし、この柔らかい部分に悪い血液が流れ始めたら、どんな事が起きると思いますか?という点です。先にお金ありき!これでは大切な命を失った人の心に寄り添うフリをする人しか育たないと思うのです。あっ、私、別にグリーフケアを仕事にしたいと思っていませんので、そこは勘違いしないで下さいね。

人は霞を食って生きてはいけないですね。それはそう思う。だからこそ難しい。何もグリーフケアに限った事ではないですがね。(;^_^A 人が踏み込める領域を犯してはならないし、助言も難しい。考える時間を与えない、応用も効かない、AIのような画一的な作用しか望めない。そんな世の中は嫌だなぁ。圧がありすぎても困るし、思いやりや甘さだけで生きてる人ばかりだったら社会は成り立たないし・・・・・。

なんて、真面目な固い話を書いていながらも、この時間の使い方が果たして有効なのかを模索する毎日です。だから、テキトーに考える自分も、どこかに忘れずに置いておかないと大変だなって。思います。

まあ、私の友人は、こんな事を私が考えている事など予想もしてないと思いますが。会って話した事のある人にならきっとわかっていて貰えると信じています。なので、進むべき方向の選択肢を広げつつ学生らしい楽しみも味わいつつ。自分のペースで私らしく進んでいこうかな。


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