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映画『夜明けまでバス停で』を鑑賞して

  記憶に残っている事件があります。渋谷のバス停でホームレスの女性が殺害された事件。なぜ記憶に残っているのかと言いますと、被害者の女性の人生と同じ道をもしかしたら私も歩んでいたかもしれない、たまたま今は仕事と家があるけれど少し何かが違えばホームレスになっていたのは私だったかもしれない、殺されていたのは私だったかもしれない、という思いがあったからです。

 『夜明けまでバス停で』はこの事件をモチーフにした映画です。事件に感じるものがあったので鑑賞してまいりました。

 結論から申しますと、思ってたのとちょっと違ったな、という感想です。

 あいまいな記憶で間違っているところもあるかもしれないですが、実際の事件の被害者の方は夢を掴むために上京し、頑張っていたけれど夢破れ、それでも東京で生きていた。けれど上手くいかないことが重なり、誰にも頼らない性格が災いして最終的にホームレスになってしまった方だったかと思います。

 この被害者の方が一体どんな気持ちで日々を過ごしていたのか、どんなものを心の内に抱え込んでいたのか、本当のところは今となっては誰にもわかりませんが想像すると苦しくなります。その心のグラデーションを観たかったのですが、映画では設定など実際とは大きく変更されていて、結末も全く違うものとなっています。なのでちょっと思ってたのと違うな、となってしまいました。

 ただホームレスの方についてはいろいろと考えさせられる映画でした。

 映画の中でホームレスになった主人公が飲食店の生ごみを漁って怒られるシーンがあります。一瞬、どうせ捨てちゃうのもならば誰かに食べてもらった方がいいんじゃないか、様々なフードロスをホームレスの方などに届けるシステムがあったらいいのにな、と思いましたがそれはダメか・・・と考えなおしました。もしそうなったら、「飯も食えるしずっとホームレスでいいや」って人が少なからず出てきてしまうのではないかと思ったのです。

 私がホームレスになってしまったことを真剣に考えてみると、大切なことは「もう一度頑張ろう」と思うことじゃないかなと感じました。

 ただ想像するに一度ホームレスになると家はないし、日に日に身だしなみは汚くなっていくし、そこからもう一度働いて稼ぐというところまでのハードルがものすごく高くなっていってしまい、もし仮に意欲がほんの少しでもあったとしてももう自分の力ではどうしようもない状況になってしまい「もう無理・・・」となってしまうのではないかと思いました。映画の中のとあるホームレスの方の「明日こそ目が覚めませんように」と祈るシーンや、公園での炊き出しのシーンで弁当にはたくさんの人が群がっているのに就労支援のブースへの群がりが弱かったりと、そういうシーンを見てそう思いました。

 もっとホームレスの方をフレキシブルに雇えるシステムがあったらいいのになぁ。

 そして私はホームレスの方が少しでも、もう一度立ち上がろう、と思ってもらえるような、少しでも希望をもってもらえるような、そんなことができたらいいなぁと思うのでした。

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