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救われることのなかった私たちへ



今日は何ヶ月かぶりにカーテンを開けて、窓を開けて、太陽を浴びました。そんな朝6時。


今日はあなたに向けて書こうと思います。


人は環境で決まらないとか言うけど、私たちは少なからず何かのせいで誰かのせいで傷ついてきたと思う。



あたしはね、これで苦しんだっていう、"これ"を上手く断定できないんだけどね、
ひらがなを覚え始める年長さん。少しだけ勉強ができたの。みんなより少しだけひらがなが書けたし、少しだけ漢字も書けたの。
生活は一応成り立つくらいのあまりお金に余裕のある家庭ではなかった。小さい商店におつかいに行って、兄と二人で10円ガムを半分こするくらいのお家だった。だから、習い事とか塾とかは到底頭になかったと思う。あたしも。親も。
でも、夕陽が綺麗に見える日はお母さんが公園に連れてってくれてたみたい。そんな写真がたくさんある。

小学校にあがって、あたしはよく発表もして勉強も嫌いという意識はなかった。なんなら得意だった。でも、同じ学年にはいとこがいた。いとこは何個も習い事に行って、何不自由ないようだった。おばあちゃんはそのいとこだけを可愛がって、お母さんの話ではお金も出していたみたい。
あたしは塾なしで、何の手助けもなしで勉強していた。それでも比べられた。いとこにも。その親にも。それだけじゃなくて、教育熱心な親たちにも比べられた。授業参観日には必ず展示された家庭学習ノートを見られた。こそこそ見る姿になんだかついていけなかった。
でもお母さんは、小さい頃いとこは靴履くのも親が履かせるの待ってたけど、あたしは自分でやる自分でやるってテキパキしてる子だったって楽しく話すから、他の子より何でも勝とうとした。勝手に比べられても勝手に競われても全部勝った。


お家では、嫁姑関係に悩まされるお母さんの愚痴をよく聞いていた。保育園生の頃から聞いてた。家族はあたしとお母さんしか女の性がいなかった。同性だからこそ話しやすいっていうのもあって、だから余計にそんな環境になりやすかった。お母さんがされた嫌がらせを考えたら、あたしというはけ口がないとやっていけないくらいだった。だから、あたしのストレスになっていたとしても恨むことはないと思う。恨めない。

今より男尊女卑なところもあって、ご飯は必ず男の人から入れる。男の人から運ぶ。それが当たり前だった。でも、昔からそうだって言われて、これが文化なのか男尊女卑なのか分からなかった。今でも分からない。

おじいちゃんもお父さんも怒ったら手を出す。それが怖いというか苦しかった。後になって傷ついた。でも、どうしようもなかった。お父さんも少しずつおばあちゃんがお母さんにしている酷いことに気づきはじめたから。それまでに何年も何年もかかったけど。気づいてからも板挟みになってそれも辛かったと思う。
でも、手を出すお父さんを見て真似するようにお兄ちゃんも怒ると手を出すようになった。

小学校高学年になった。
円形脱毛症がひどくなった。毎日髪を結んでくれるお母さんに、時々異常だって罵られてそれがまた小さな傷になった。
その頃から学校でのストレスもあって、時々声が出せなくなっていた。今になって調べてみると、心因性失声という病気にすごく当てはまった。


中学生になった。行ってみたかった塾に通いはじめた。部活もして級長もして、席次も2番3番とキープして忙しい日々の中で数字に表れる価値で自尊心を保っていた。
やっぱり比べられるけど、それにはもう慣れていた。
でも、お家は毎日誰かが怒ることが増えて、それが毎日になって、お母さんの怒ってる声を聞いて、お父さんの怒りを抑えて、お兄ちゃんに時々殴られて。もう誰かが毎日あたしを殴って、それが問題になって、大ごとになって、明るみに出て助けられないかなって思うようになった。

でもそんなことはなくて、誰にも助けられないままあたしは中学3年生にあがる前におばあちゃん家で生活するようになった。自分で逃げた。
そこから学校行くのに精一杯になって、病むことを覚えて、ここから少しずつおかしくなった。自分の気持ちに気づきはじめたから。いつかうつ病になることも分かってた。タイムリミットが近づいてることも分かってた。


高校2年生になって、学校に行けなくなって、精神科で躁うつ病と診断された。今までの色んな小さな傷に気づいてしまって、それが大きな致命傷となって今になって負ってしまった。

自分がはけ口にされて気づけばストレスになっていたから、人に自分のことを話したくなかった。SOSを出せない人間になっていた。


よく嬉しいことは2倍に、悲しいことは半分にとか言うじゃん。でも、あたしにはそれ耐えれなくて。大切な人に悲しみ分けてどうするのって、大切な人には幸せでいてほしい。悲しみなんて必要な分だけでよくて、わざわざあたしから悲しみを分けることなんかしたくない。悲しみを分けるなんて自分のことしか考えてない。はけ口にされる人のことは何も考えてない。

そして今の今までこうして生きてしまった。


強く生きているみたいな前髪なしのオールバックの高く結んだポニーテールで生きてきた小学校中学校時代。
高校生になって、みんなより遅れて気づいた自分を形作ろうとして髪はばっさりボブにして、前髪も作ろうとしたけど、長年のオールバックで大人しく前髪として降りてこないですよって美容師さんに言われてできなかった。そんな感じで、まだあたしは過去に蹴りをつけられたわけじゃない。親に本音を話せないのは笑って生きてるようでなんかしんどくて、愛に飢えてるのに女友達からのハグにも違和感を覚えてしまう。惨め。今でも過去を振り返るのは苦しくて惨めだ。


良ければ読んでみてください


あなたはどうですか。誰にも言うことじゃない、こんなの愚痴になってしまう。そんな傷は何かと治りが遅い気がします。致命傷になる前に見てみてください。

あたしの傷は多分跡になって残って色素沈着しちゃうと思うけど、いつかそれも愛せますか。



救われることのなかった私たちへ。
私たちは私たちらしくいていいようです。
自分の感じ方でどうにだってできる。そう言ってくる外野もいるけど、
傷ついたのはちゃんと認めてあげないといけないって大人になって気づいたから、私たちが私たちらしく生きていくために、これは愚痴ではないことを信じたい。認める行為だとしたい。
そういう傷はどうしても私たちを形成する要素に入ってしまうけど、私たちがそれと闘っているのは、それぞれに人生の最低ラインがあって、それを下回らないように、それだけのためにこうしてもがいている気がします。
それだけだけど、なりたくない大人がいてそれにならないように歩くのは案外難しいよね。
なんでも自分のせいにしてきたけど、あたしという人間は全部与えられたものでできてるから、だから自分のせいじゃなくていい。でもあたしはあたしとして生きていかなきゃいけないから、最終的には放棄せずなりたい自分になれたらいいよね。愛を少しずつ知っていけたらいいよね。これからもたくさん救われよう。





しあわせになろうね。

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