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自己肯定感とイデオロギー(未定稿)

前回の記事で「未定稿」として文章を書くことに味をしめたので、今回も未定稿シリーズとして、考えとしても記事としても不完全という前提で、思いつくままに書いていきたい。いずれ自身の学びと共にアップデートしていくアジャイルブログ、という事でいろんな不備はご容赦願いたい。

さて、今回はあえて客観的なデータを一つも引用せず、主観だけで書いてみたいと思う。論拠は「自分の経験」だけである。

まず、私は今、民主主義者という立場で活動をしているが、政治に関心を持ち出した中学・高校生の頃は生粋の国家主義者(ナショナリスト)であった事を告白したいと思う。

と言っても、イデオロギーについて理解しているわけもなく、その自覚は無かったが、石原莞爾や北一輝の著作を読み、安岡正篤が好きで、小林よしのりの『戦争論』は全部持っていて、靖国神社で『英霊の言の葉』を全巻買って、読み終えた時には「国のために死ねる」と本気で思っていたし、そう思わなくなってしまった日本国民を嘆いたりしていた。誰がどう見ても国家主義者だろう。

日教組の強い奈良県の公立学校で反戦教育や人権教育を受けたため、その反動もあったのかもしれない(修学旅行は広島と長崎であった)。

この事自体を否定するつもりはないし、今も、当時認識していた「国家」というものの認識が変わっただけで、日本人としての誇りや、この国(日本政府が統治する国家というよりも、日本人によって構成される共同体やそれが作ってきた歴史や文化の総合という意味合いが強い)への愛着・愛慕という感情は変わっていない。

しかし、なぜそういう思想であったのかという事を今の自分の視点で考えてみる事に意味がありそうなので、今回はそこを深掘りしていきたい。

ここで本稿のタイトルにある「自己肯定感」という軸を取り入れて話を進めると、私の小・中・高校生の時代はすこぶる自己肯定感が低く、自分に自信が無かった。

小学生の頃から引っ込み思案で、基本的に人前に出て何かをやるという事は嫌いだったし(人前で話すと赤面していた)、いじめとまではいかないがスネ夫みたいな同窓に意地悪をされて泣き寝入りしたような記憶もある。

中学に入ると多少のイメチェンを試みるのだが、典型的な中流家庭で育ち、勉強もさほどできる訳ではなく、球技やスポーツ全般が苦手だった事もあり、スクールカースト上位者に媚びる事で、中位のポジションで生きながらえていたように思う(剣道だけは小学生から続けていたので道場だけが大きな顔をできる場所だった)。この頃は、他者との比較によって自己肯定感が高まらない状態だったと言える。

今思い返せば、この自分に自信がなかった時期が、自分の中のナショナリズムが最高潮に達した時期だったように思う。他者との比較によって規定された「自己」の上位に「国家」を想像する事によって、欠如した自信を補完しようとしたのかもしれない。

その影響もあり、将来の夢として、自衛官や皇宮護衛官を志すようになり、少しでも早くなりたいと思ったため、高校受験で少年工科学校(自衛隊の高校)を受けた。

運よく合格し、15歳で少年自衛官になった事は、当時の自分にとって想像上の上位体の「国家」と同化する事になり、ある種の自己実現を満たした状態だったと言えるのかもしれない(しかし、後々、当然ながらそれはフィクションだという事に気がつく事になる)。

自衛隊に入った事はあらゆる面での転機となり、「自己肯定感」という面では、それまでの他者との比較軸が全てリセットされ、同じ釜の飯を食べる同期の存在や組織としての閉鎖空間という特殊性によって、日常生活における自信の有無を意識する事はなくなった(その必要性が無い環境だったのだろう)。これにより、本当の意味で自己と向き合う事ができるようになったような気がする。

およそ6年間の自衛隊生活の中で、後半の心情の変化としては、前述した「国家との同化」は完全なるフィクションである事に気がつき、逆に、未知の世界である「民間社会」に強い関心を抱くようになった。

その頃から、余暇や休日を利用して通信制の大学に通うようになり、都内の社会人向け勉強会等に参加するなどをしていた(おいおい書くこともあるかもしれないが、人生の転機となった松下政経塾の一泊セミナーに参加したのもこの頃だった)。

詳細は割愛するが、自衛隊を退職し、民間企業に勤めた後、23歳の頃に会社を起業するのだが、この頃から思想が大きく変化する事になる。

一つ断っておかないといけないのは、最近よくあるキラキラした学生起業家や若手スタートアップのような自信に満ち溢れた起業ではなく、どちらかというと生きていくための泥臭い起業であったように思う。

そんなスタートなので、失敗もたくさんし、多くの人に助けてもらいながら、コツコツと「自力でお金を稼ぐ」という事に集中していた。

「自己肯定感」という軸で思い返した時に、この経験の影響は非常に大きく、「明日食えなくなるかもしれない」という恐怖と向き合いながら「自分の仕事に値段がつく」という体験を繰り返し、少しずつ自信が増していく感覚があった。会社組織に所属し決められた仕事をこなしながら、年収という基準で他者と比較される環境では得られない感覚だったように思う(もちろん個人としての年収という比較基準は存在するが、自分で仕事を作りお客様に認められるという事の価値が上位にくるので、その蓄積が自己肯定感を高めていった)。

今思えば、私の起業は、明日を生きるために、昨日できなかった事を今日できるようになって、提供できる価値を増やすという作業の繰り返しであったから、そのプロセスが自信を醸成する事になったのだろう。

そんな日々を送るうちにどういう思想になったかと言えば、それまで上位にあった「国家」というフィクションに人生を左右されるのではなく、自分の努力と意思で物事を選択する事に価値を感じるようになった。一定の自己肯定感を得る事によって自由主義者になったと言える。「国家」を想像しなくとも「目の前の人間」に向き合う事ができる自己が確立したと言えるのかもしれない。

冒頭で「民主主義者として活動している」と述べたが、個人として国家主義から自由主義までの思想の変遷を辿り、それぞれの立ち位置での物事の見え方を体験したことで、自由に主義や主張を表現できる事の重要性や、多様な考え方の存在を認める事、そのような環境で対話や議論を重ねる事で一定の「正しさ」が導出されるであろうという考えに至った事がその原点にある。

自由民権期の民権家たちが『自助論(西国立志編)』や『学問のすすめ』などを読んで、自助努力を重視していた事にも何かしらの共通点を感じる。

最後に一つ書き加えると、私は体験的に理解しているわけではないが、出自や育成環境によって幼少期から自己肯定感が高く、私が「国家」を想像していたように「人間」そのものを想像によって規定している層も少なからずいるような気がしていて、自己とは異なる存在の「弱き人間」を助けなければならないと考える、いわば社民主義的な思想を持つ人たちもいるのではないか、と思う事がある。

これは完全に主観的な仮説であるが、自己肯定感が低い場合は、国家主義的(≒全体主義的)な思想に偏りがちで、自力で自己肯定感を高めた場合は自由主義的に、それとは別路線で自己肯定感が高まりきっていると社民主義的になるのではないかと思うのである。

(ちなみに、いわゆる保守論壇と呼ばれる場において散見される一部の全体主義的な発言をする人の中には自己肯定感が高い人も多いと思うのだが、あれはある種の「芸」であって、消費者が望むものを提供している構造のように見えるので、本人の本性ではない気がしている)

今回は、自分語りが中心の記事なので、ここまで読んでいただいた殊勝な方がどれだけいるかわからないが、皆様にとって何らかの参考になれば幸いである。


※本記事の内容は所属機関とは関係なく仁木個人の見識に基づくものです。



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「未来世代」と「現在世代」の架け橋になりたい。未来志向の人たちのインターフェースになる政治を創りたい。やっている事はユースデモクラシー推進機構代表理事・デジタルハリウッド大学院メディアサイエンス研究所研究員・早稲田大学公共政策研究所招聘研究員・NPO法人全世代理事など。