恋愛を手放す
波紋も起らないように研ぎ澄まされた感情
落ち着いていて一定であり、そのことに安心感を感じる
コロナ禍になり人との距離を取るようになって、お付き合いを消滅させた
平穏である日常を過ごすことで小さな変化も感じ取れる自分でいたいと思う
他人との付き合いは自分の中にさざ波を起こす要素にしかならない
特に恋愛と呼ばれるもの
好意による束縛、愛情という名の拘束
自分に自信がなかったり、相手からの愛情を信じられない場合、だいたいの人間はその関係性にある人物に対して”恋愛関係にある”という関係性を盾に意のままに相手を操作しようとする
付き合う過程で、関係性が構築されてお互いの好意が愛情になりそこに信頼が芽生えると安心感が生まれるため、その恋愛関係は落ち着いたものになる
ただ、前途したように自分に愛されているという自信が持てなかったり、相手の愛情を信じるということができない場合は永遠にそれは叶わない
機能不全家庭で育った自分は何を持ってしても愛情というものが理解できない
愛情を感じた生き方をしたことがないため、何が愛情かどうか判断がつかない
そのため過剰になったり不足したりで結局、相手を困らせてしまう
相手は困ると不安になるため、自分を制御しようとしてくる
束縛だけではなく時として暴力や暴言も用いる
攻撃されたと感じた自分は更に相手に不信感を抱く
自分は平穏な日々を失い、感情を乱されストレスに心を疲弊していく
恋愛という行為が本当に辛くなる
別れはいつも過剰なほどの愛情を浴びせられそれが辛くなった自分の態度で相手に好意を抱いていないことを悟られて終わる
「本当に好きのか?愛しているのか?」と問われると答えられない、空気のように生きていく上で必要ではないから
相手はきっと必要とされることを望んでいるんだ
自分でできることは自分でやるし、甘え方は知らない、寂しさも感じない
そして恋愛を手放した
いつも感情は一定で、合わせ鏡のように自分と向き合う時間がたくさんある
感情を揺さぶられない毎日に安心感を覚えてみるといい
ふと疑問を抱く、人に対する好意があるからそこには恋愛や友情は成立し得る
では恋愛と友情の違いは何か
身体の関係の有無なのか?否
恋愛は終始が明確である必要があるのか
付き合うという宣言は契約施行なのか
わざわざ関係性に”恋愛”を持ち出して”友情”や”愛情”を区別しなければならないことに対してなぜ疑問を抱かないのか
こんなややこしそうなことを考え、思考に耽る時間を与えてくれたのも恋愛を手放したからなんだけれど
少し疲れたら手放してみるといい
距離ができれば俯瞰してその存在を認識できるよと、最近失恋を報告していたあの人に
これを捧げたい
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