見出し画像

①支援する側の思い込みで作ってしまう困難

私たちの団体では『どんな人もありのままに、安心して過ごせる居場所を地域に』という想いを大切にしています。

大人もそうですが、「可愛い子」「勉強ができる子」「育てやすい子」と子どもたちは第三者によりいろいろな見方をされてしまいます。

プラスの面で捉えられずに「勉強ができない子」「育てにくい子」などマイナスの面を捉えられてしまうと、家族や学校などの集団の中ではその面だけが強調されやすくなってしまい、その子が自分のことを肯定的に認めにくくなってしまいます。

活動の中で子どもたちの話を聞くたびに、誰かの評価や判断を受けない、その子がありのままの自分でいられ、認められることの重要性を強く感じます。

しかし、活動に参加してくださる方の中には「子ども食堂に来る子は貧しい家庭だったり親からお世話してもらえていない」というような誤った思い込みがあり、『かわいそうな子どものために何かしてあげたい!』という思いが強くある方がいらっしゃいます。

たしかに活動目的のひとつとしては、困り事を抱える子どもたちのために、必要な支援を届けることでもあります。

ただ「貧しいから」「学校へ行けていないから」「いじめられているから」と、いつも弱い存在であり支援を受ける存在なのだと、感じさせられるのは辛いことだと思うのです。

決してその子を色眼鏡で見ずに、その子から相談されてから、はじめて支援の形を一緒に考える、そんな平等な関係を築きたいのです。

いつ、誰から、どんな支援を受けるのかを決める権利はその子にあるのではないでしょうか?

「あそこに行けば、相談ができる人がいる」「あそこに行けば、あの人がいる」
子どもたちがそう素直に思い、いつでも足を運べるような居場所でありたいと思います。

弱い立場の人を助ける力のある存在だと酔いしれて、支援者側の自己欲求を満たすための場所になることのないように、いつも自分たちへ問い続けていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?