過食の時に食べ物と一緒に飲み込んでいたもの

吐かない過食やってました。
30年ほど前に始まった結婚生活が
発端でした。

     (この夫とは既に離婚していて
     元夫、元義母、元義姉ですが
     文中、「元」は省いています)

夫の家は儒教色が強く
年上の人には絶対服従でした。
お義父さんは亡くなっていて
お義母さんを頂点とした
ヒエラルキーが存在していました。

本来ならば長男である夫が1番上のはず
なのですが、義母が君臨していました。

結婚直前に夫から
「世間の嫁姑問題は嫁がバカだから
起きる、お前にはそんなバカには
ならないで欲しい。
姑が白いと言ったらカラスでも白い。
これに従っていたらモメるはずない」
と言われて、ギョッとはしましたが
自己価値観激低だった私は
「幸せになるには何かを差し出すとか
犠牲にしなければならない」という
信念を無意識に持っていたので
(『セカイノオワリかよ』って今なら
突っ込む(笑))
「なるほど、そうなんだな」と同意し
しっかり受け止めました、とばかりに
うやうやしくうなづいたのでした。

カラスは白い、こそ言われませんでしたが
内容的には無茶苦茶なことを
私が当然すべきこととされたり
実家の母を蔑むようなことを言ったり
人には歯が浮く様な
お世辞を言い続けながら家では
その人のことをボロクソにけなしたり、
人前で私のことを褒めそやかして
振り向きざまに私にだけ聞こえるように
「クソ女め」と言ったりして
段々、私は心がぐちゃぐちゃに
なっていき、義母に会う時には
頭痛や吐き氣や発熱したり
体調が悪くなっていきました。


その間、夫はどうしていたのか?
私を実家に置いてゴルフや飲み会に
出かけていました。
毎月必ず実家に泊まりにいかなければ
ならないというルールがあり、
当時、
私たちは兵庫県の不便なところに
住んでいたので
都会にある実家の方が
夫は友達にも会いやすく
都合が良かったこともあり
ほとんど家におらず
義母が私になにを言ったりしたり
しているのかを目にすることが
少なかったのです。
加えて義母からは
「私との話しを息子にするなど
言語道断、息子に氣苦労をかけるような
バカな嫁にはならないように」と
釘を刺され、例の思い込みと
自己価値観の低さゆえに
自分の居場所を失う恐怖から
言いつけを守っていました。
今にして思えば義母はサイコパス
だったのではなかろうか。

HSP氣質の私にとって
義母との時間は地獄でした。

夫の実家に滞在していない時には
1日に2〜3回電話しなければ
なりませんでした。
夫の行動について根掘り葉掘り
聞かれました。
食事や業務内容、仕事の時間など
まるで取り調べみたいでした(笑)

それが嫌で嫌でこちらからかけずにいると
向こうからかかってきます。
番号表示されて、嫌すぎて出なかったら
またかかってきて出るまで何度も。
そして冷ややかに嫌味を言われるのです。
「なにしてたん?」
「あらあら、お久しぶりやないの」って。
これ聞いたら背筋が凍りつきました。
電話を切ってから動けるようになるまで
2時間くらいかかりました。
段々、必要時間が延びていきました。

向ける先のない怒りや憎しみ
哀しみが蓄積し
イライライライラすると
誰も見ていないところで
食べ物をどんどん口にいれてました。

「入れてた」は、上品な言い方だな
あれは「放り込んでいた」とか
「ぶち込んでいた」がふさわしいな。

菓子パンやジャンクフードが
猛烈に食べたくなって
自分を壊してしまいたい衝動にも
突き動かされ、ぐいぐい口に
ぶち込んでいました。

ぶくぶく太りました。
あの頃の身体についていた脂肪は
私の不平不満や怒りや失望でした。

義母や夫に向けたものと思っていたけど
自分自身を守ることをしなかった
自分に向けたものだったんだなって
随分、後から分かりました。

そして最近、氣づいたのですが
あの頃の私は
言いたくても言えなかった
言葉たちを飲み込むために
食べ物を嚥下していたんだ。
そんな酷い食べ方をして
消化しきれるはずもない食べ物たちが 
私を形作っていたんだな。
だから鏡を見るのが嫌だった。
醜い自分を直視できなかった。
ますます自分が嫌いになっていってたな。


私は、
機能不全の家庭で育った一人っ子で
父親は知らない間に亡くなり
母親にも心配かけられないと相談できず
加えて、義母のマインドコントロールで
実家に帰るとか
実母に家の中の話しをするとか
友達に会いに行くことや
同窓会や結婚式に参加するのを
禁じられていたので
友達とも疎遠になり
外部との交流が細く細くなっていたので
変だなって氣づくことが遅れすぎました。

義姉たちは、しょっちゅう実家に
来ていた矛盾に氣づけなかった(笑)

来るだけでなく
冬物を丸っと送ってきては
洗ってアイロンかけて宅配便で送り返したり、
毎日何度も
子どもたちの不登校や家庭内暴力や
姑からの意地悪について電話してきて
その度に義母は大声出して受話器を電話に
投げつけた後、荒れ狂うので
とばっちりを受けてたというのに。


こんな状態だったけれど
私にも救いはありました。
当時住んでいたハイツに
子育て中の同じ世代のママさんが
数人いて交流があったので
中庭で子どもを遊ばせている時に
家の電話が鳴ると私の様子が
おかしくなることや、
夫の実家に行く前後の
私の異変に氣づいて
何度も、「どうした?大丈夫?」って
聞かれていました。
何度も聞かれるうちに話してみようかな
という氣持ちになれました。
すごくすごく恵まれてました。
ほんの一部でしたが話すことができたことは
私にとって、とても幸せなことでした。
あのママさんたちが居なかったら
私、狂ってたかも知れない。

自己価値観が低かったり
自分のことが嫌いだったりすると
自分のことを守れなかったり
自ら傷つけるようなことが
できてしまいます。

鏡を見るのが苦手な人は
この傾向があるのではないかしら。

こういう方は
自分に対する理想が高く完璧主義
どこまでいっても自分にOKだせない
幸せになるためには資格がいる
身を削らなければ受け取ってはいけない
など、生きづらくなる信念を無意識に
抱えています。

本当に、
そこまで価値のない人なのでしょうか?
そんなことしなければいけないのでしょうか?

そうすることで
自分の中の自分は
喜んでますか?
哀しんでますか?
それとも、なにも感じられないですか?
なにも感じない、が一番危しです。

誰か一人でも、少しだけでも
話せる人を見つけて吐き出してください。
そして客観的に
おかしな理論に陥っていないか
見てもらってください。

視野が極狭になっているので
自分では氣づけないところを 
指摘してもらってください。

最終的には、自分の中の自分が
喜ぶことをしてあげることが
普通にできるように 
錆びついた自分とのパイプやアンテナを
磨いてツーツーにしてください。

自分で自分を壊さないように。
自分を大切にする方法を知らないならば
ぐっすり眠る
トイレを我慢しない
なんでもいいって言わない
湯船にゆっくりつかる
目を閉じて深呼吸
自分にそっと触れる
を、どれか一つでもいいので
やってみてください。

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