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100円が落ちていました。

A「ラッキー!100円だ!」

B「なんだ~。100円かよ~。」


同じ「100円を拾う」でも、AとBで受け止め方が違います。
このような受け止め方をチョイスする瞬間は、日々の生活でたくさんあります。
つまり選択の連続です。
選択という分かれ道に立ち、Aのように「幸せ」の選択を選ぶか、Bのように「不幸せ」の選択を選ぶか。


またこのようなことも考えられます。

100円が落ちていました。

C「ラッキー!100円だ!」

Cさんの横でたまたま
D「おっ!500円めっけ!!」

皆さんが、Cさんだったらいかがでしょうか。
私であれば、100円を拾ったことに変わりはないのに、Dさんの500円を羨んで、一瞬の幸せが不幸に傾いてしまいます。
つまり、100円の幸せをチョイスしたのに、他者と比較したことで、400円の差額に不幸をチョイスしてしまったのです。

100円を拾った事実は変わらない。

同じ出来事も、幸か不幸かは自分が決める。


〇Aの仕事を頼まれた
→期待されている!できることが増えるチャンス
→面倒くさい

〇病院の待合室が混んでいた
→読書の時間がたっぷり
→早くしろよ

ほかにも幸せに変換できる瞬間はたくさんあると思います。

皆さんは、自分の幸せを自分でひきよせていますか?


しんちゃん@三浦真司


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