7月8日 生きる深さ


 こんにちは。

 生きる深さは、人によって違うと教えて頂いたことがあります。

 大将が帰ってくるまでは、私は私の深さで生きていました。
 周りの人も、私の深さを受け入れながら、存在していました。

 大将が帰ってくると、空気が変わりました。

 私は今日、煎り酒を作っていたのですが、必要ないお玉を持ち出した途端に 叱られました。
 冬瓜の切りかたも、考えていないことを叱られました。
 前回8等分と教えられたので、8当分で切ったら
「前の冬瓜より大きいでしょう。なんで考えないの」
と叱られました。

 包丁を研ぐのに、一番誰も使わないドリンクシンクで、ドリンクの式パッドに布巾を敷いて包丁研ぎをしていたら、
「なんで、匂いがつくってわからないの。ここはドリンクのグラスを置く場所で、鋼の匂いが移ったら、わかる人にはわかるからね。そんなことしていたらお店がメチャクチャになる」
と叱られました。

 生きる深さは目に見えないです。
 私は私を生きていて、でも、普通考えたらわかる常識がなくて叱られます。
 これはどれだけ予習復習をしても、生き方の問題なんだって思います。

 私が見えているもので、生きて楽しくても、大将が見えている深いところがあるいじょう、求めずにはいられないです。
 でも、どうか、拗ねたり諦めたりせずに、やるには。

 帰る道で泣きそうで、でもできるまでもう絶対に泣きません読んでいただき、ありがとうございました。

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