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「週刊SPA!」 騒動が40代男性に突きつけたもの

週刊SPA!編集部「女性をモノとして扱う視点があったと反省」 署名を集めた大学生らと直接対談
この記事を通し、何を伝えたかったのか。週刊SPA!はどんな世界を作りたいのかーー。大学生が問いかけました

Twitter を通じて一気に世論を動かした今回の騒動は、#MeToo運動とはまた違う視点で私たち40代男性の意識を問うていると感じています。一括りに40代男性という言い方をしていますが、日本人男性全てに言える問題であることはいうまでもありません。しかし、この手の問題が起きたときに加害者になり得るのはやはり40〜50代の男性であり、社会的な立場や経験を駆使して女性をなんとかしようとするのも、やはり同世代が多いことは認めざるを得ません。

今日の報道をみて、これまでと違うと感じた点は、抗議グループが謝罪や廃刊を求めているわけではなく、もっと本質的な経緯や意識の差について議論を求めたことにあります。

まさに昨日(1/13)、ドラマ『3年A組』で菅田将暉演じる柊が言い放った「お前に足りなかったものは想像力だ!」というセリフがブーメランのように自分の胸に刺さった気がしています。

今回の騒動がなければ、僕もまた問題になった特集に対してさほど関心を抱かなかったと思います。もし、たまたまコンビニや書店で「SPA!」を立ち読みすることがあったとしても、「バカバカしい記事だな」くらいにしか思わず、3秒後には忘れていたことでしょう。

今回の記事に限ったことではなく、特定の組織や集団を属性的に切り分けて勝手にランキング付けすることはよくあることです。そう ”よくあること” だという認識自体がすでに麻痺しているということを感じなければなりません。

情報科学芸術院大学院大学の小林昌廣教授は、本件について以下のように語っており、僕もまさにこれだと感じました。

批判する側vs.批判される側というステージをあらかじめ設定するのではなく(彼女たちはそれを「女vs.男」にはしたくない、と控えめに語っている)、まずは問題を共有して、その最低ラインからのズレをさらに共有してゆくという姿勢は、きわめて精神分析的であり、哲学的ですらある。

私たちは何かが起きるとそれを善悪に分けて判断し、どちらが叩きのめされるまでやりあうという暴力性を隠し持っています。その中で、本質的な問題を共有して改善を図ろうとする姿勢に、まさに傍観者であるふりをして加害者の一部であったかもしれない自分自身への戒めではないのか、とう想像力が働きました。

起こった問題の「尖端」の部分だけをいくら言い合っていても、それは解決にならない、どちらかが「潰れる」までやりあうのが「正義」だと誤解されつづけるだろう。
(中略)
正義はどこにでもあり、そしてどこにもない、重要なのは、互いにさがしてみるということだろう。

冒頭、示唆的に用いた40〜50代の男性という表現。私も含め、大人になってしまった男は自分が変わっていないつもりでいます。でも、周囲が自分を見る目は確実に変わってしまっているのですよね。ちょとした一言や、軽口がとんでもない事態を招く可能性があることを想像できなければなりません。過敏になる必要はないのですが、感覚的に言葉を発することはやはり大人がすべきことではないということを強く意識させられました。

【本日の参考記事】
週刊SPA!編集部「女性をモノとして扱う視点があったと反省」 署名を集めた大学生らと直接対談

情報科学芸術院大学院大学:小林昌廣教授(Facebook)

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