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3.11は風化しないという幻想を持っていた。

「先生ってさー、東日本大震災知ってる?」


家庭教師のアルバイト先の、小学6年生の少女に、ふいにそう問われた。
学校の授業でそんな話があったのか
何かどこかで見かけるきっかけでもあったのか
思い出したように脈絡のない話をするのは彼女の常で、きょうもそうして、分数のかけ算を解きながら彼女は問うた。

「あぁ、うん、知ってるよ、東北の方の地震だね」

そう言うと、「東日本」と「東北」がうまく繋がらない彼女はキョトンとした顔をするので

「3.11のことでしょう?」

と聞くと、「そう」と頷いた。


「東日本大震災ってどれくらい揺れたの?」
「(そういう大きな地震では)本棚とかがガシャーン!って倒れたりするの?」と聞かれたので
「そうねぇ、わたしは友達の家の、友達の部屋にいて、落ちたり倒れるようなものがあんまりなかったから分からないけど、でもこのまま建物の中にいたらもしかして死ぬかもなとは感じたよ。万が一の時逃げられるようにって2階のその部屋の窓を開けたもん」
と話した。


あぁ、そうだ、あの日。
こんなに揺れたのだもの、震源がきっとこの辺りなんだと、ほとんど確信に近くそう思っていた。
揺れが収まってから慌ててつけたテレビで、震源地は東北の方だというテロップを見て目を疑った。
それから少し後、ほとんど画面が茶色一色の、それが建物のある陸地だなんて嘘みたいにごうごうと流れる台風の時の川のような映像を、何度も繰り返し見た。

日が経てば今度は福島の原発がメルトダウンする、放射線が危険だというニュースが、毎日毎日繰り返し、状況を悪くし続けた。


戦争以外でひとがあんなにも死ぬのかと。
もはやあれは、地震という災害では収まらないような出来事で
膨大すぎて、何のために、誰のために心を痛めたらいいのかもよく分からず
3.11という日が来るたび、あの日確実に変わってしまい、もうここにない‘何か’のことを、静かに思う。


いま、小学校6年生の彼女は、当時3歳だったと言う。
「なんにも覚えてないもん」
と彼女は言う。
もっと下の学年にゆけば、当時生まれてすらいなかった子どもたちがもう10年分近くも積み重なっている。


時代が確実に動いている。

戦争が、まだこの地球上の至る所で起こっているからこそわたしたちは、太平洋戦争のことをなんとかイメージできて、ひとが戦争で死ぬという事態を考えることができる。
‘戦争経験者’を、おじいちゃんのお父さんの……くらいの繋がりで語ることができるから、大切なひとが悲しむということを思うことができる。


いつか、わたしや、あなたが失ったものが
本当に、幻のように消えてしまう日がくる。

そんな日は来ないと、たぶん心のどこかであぐらをかいていた。
わたしがせめても思いを馳せた「誰かに愛された誰か」は、誰にも愛されなくなる日が確実にくる。
それは罪ではないし、おそらく悲しむべきことでもない。自然なことで、そうやっていつか遺物になっていく。



わたしが好きなひとが、好きだったひとのことを、わたしは知っている。
わたしが好きなひとが、好きだった場所を、わたしは知っている。
わたしは、知っていて、覚えているよ。


#エッセイ #311 #0311 #東日本大震災


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