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グローバリズム

現在、何かと「グローバル(世界的規模)」と言われていますが、何十年か前には「インターナショナル(国際的)」という言葉が世間では飛び交っていました。私が勝手に抱くインターナショナルは、「海外にも目を向けて」や「海外でも通用する」といった、あくまで自分の住んでいる国やポジションから世界を見た言葉のイメージでした。それがグローバル、「私たちは地球に住んでいて、地球規模で捉えよう」という考えになっている。それを思えばSDG’sも当然の流れですね。そのSDG'sもかなりうさん臭さがあると思うのは私だけでしょうか?その目標項目の中に経済成長も掲げられている点…経済成長の代償として、そればかりとは言わないまでも資源を枯渇させ、何をしたとしてもサスティナブルには程遠い現状がある気がしてなりません。

さて「グローバリズム」、これをググると「国を超えて地球全体を一共同体としてとらえる考え方、地球主義」という。世代的に聞いたことがない人もいるかもしれませんが、何故か「人類皆兄弟」なんて言葉を思い出します。一見ステキな印象を持ちますが、現実と言えばどうでしょう?各地では紛争(戦争)が起こっていたり、まだまだ差別や貧富格差があったりして、それとは程遠いような気がしています。

そして「グローバリスト」という言葉もよく聞きます。グローバリストの意味をググると、「世界的規模で活躍する国際人」ということらしいですが、主にYouTube等ではおおかた「グローバリスト=世界共産主義者」で用いられています。その最たる例が米中間選挙であったように思います。

実はヨーロッパのEUもグローバリズムの一端ではないかと感じています。それぞれの国の上にEUという組織。グローバリズムはそれが地球規模になったモノと連想してしまう。イギリスのブレグジットは反グローバリズムと見ていいでしょう。EUでなくても国連もそんな感じでしょうか?大戦後の名残と言うべき組織ですが、その常任理事国、実際世界で何を起こしているかと言えば…
だからナショナリズムという動向があるのも確かで、ここでまた右か左かというようなグローバリズムvsナショナリズム対立構造が生まれている…
こういうとき私自身、どちらもであってどちらでもないというような折衷思考があったらいいのにとよく思います。人間ってどちらかに傾くのが好きなのでしょうか?

グローバリズムの陰に潜むというか、その正体は「支配」にあるのだと感じています。「統治」でもいい。しかし先に述べた現状から、それはまだまだ
次期早々のように思います。第一、それを推し進めようとする者達が人格者だと感じられない。そうでなければ悲惨な世界になってしまうと思う。前回の投稿に引き続きここでもまた「精神性」という言葉がやはりキーワードとなってしまう。精神性と言うと、オカルトや宗教的なイメージで捉えられてしまうのかもしれませんが、それでも人間たる一番重要なエレメンツだと思っています。

グローバリズム、それはきっともともともっといい意味なはずなのに、光と影があるように、またそれをどうこうしようと意図的に都合のいいように、あるいは無人道に支配を画策する人達がいる限り求めてはいけないのだろうと感じます。

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