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【日本遺産の基礎知識】鯨とともに生きる(和歌山県)

執筆:日本遺産普及協会監事 黒田尚嗣

和歌山県の日本遺産「鯨とともに生きる」の基礎知識を紹介します。
※本記事は、『日本遺産検定3級公式テキスト』一般社団法人日本遺産普及協会監修/黒田尚嗣編著(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。


日本遺産指定の背景

鯨は、日本人にとって信仰の対象となる特別な存在でした。人々は、大海原を悠然と泳ぐ巨体を畏(おそ)れたものの、時折、浜辺に打ち上げられた鯨を食料や道具の素材などに利用していましたが、やがて、生活を安定させるため、捕鯨に乗り出しました。
熊野灘沿岸地域では、江戸時代に入り、熊野水軍の流れを汲む人々が捕鯨の技術や流通方法を確立し、これ以降、この地域は、鯨に感謝しつつ捕鯨とともに生きてきました。
当時の捕鯨の面影を残す旧跡が町中や周辺に点在し、鯨にまつわる祭りや伝統芸能、食文化が今も受け継がれています。

鯨とともに生きるまちの鯨のモニュメント(太地町)

1.古式捕鯨の歴史

熊野灘沿岸は、鯨が陸の近くを頻繁に回遊すること、また、その鯨をいち早く発見することのできる高台と、捕った鯨を引き揚げることのできる浜という、古式捕鯨にとって最も重要な地理的要件を備えていました。
そして、人々は、古くより生きる糧(かて)を海に求めたため、造船や操船に秀で、泳ぎに長けており、海に関する知識が豊富でした。江戸時代、この能力を活かし、新たな産業として着手したのが捕鯨です。最大の生物である
鯨を捕獲するには、船団を組み、深さ約45m から60m にも及ぶ網で鯨を取り囲み、銛で仕留めるという、他に類を見ない大がかりな漁法が必要でした。漁では、500名を超える人々が役割を分担し、地域を挙げて捕鯨に従事していました。
鯨は、「一頭で七郷が潤う」といわれ、当時、セミクジラ1頭で約120両にもなり、年間95頭捕れた天和元(1681)年には、6,000両を超す莫大な利益をもたらしました。このことは、遠く離れた大坂(現在の大阪)にも伝わり、井原西鶴の著書『日本永代蔵』には、鯨をとって得られる金銀が使っても減らないほど蓄えられ、檜づくりの長屋に200人を超す漁師が住み、船が80隻もあり、鯨の骨で造られた三丈ほどの「鯨鳥居」があるなど、この地域の繁栄ぶりが記述されています。

実際に使われていた捕鯨船「第一京丸」

2.捕鯨が育んだ文化

熊野灘沿岸には、多くの鯨にまつわる祭りや伝統芸能が今も受け継がれています。飛鳥神社の「お弓祭り」や塩竈神社の「せみ祭り」では、的に取りつけられた「せみ(セミクジラを模した木や藁で作られたもの)」という縁起物を用い、豊漁や航海の安全を祈願しています。「河内祭(こうちまつり)」の最大の見せ場は、豪華に飾り立てた鯨舟の渡御であり、かつて捕鯨がこの地域の生活を担う誇るべき産業であったことを物語っています。
鯨踊は、かつては大漁を祝う鯨唄の調べとともに、勢子舟(せこぶね)に渡した板の上、あるいは、浜で座したまま舞っていたものですが、この踊りの一糸乱れぬ動きは、鯨との死闘を見るようです。また、平素の生活にも、今も続く捕鯨により得られた肉が、郷土の味として定着しています。

「鯨とともに生きる」の詳しい情報はこちら

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著者プロフィール

日本遺産普及協会代表監事。近畿日本ツーリストなどを経て、現在はクラブツーリズム株式会社の顧問を務める。旅の文化カレッジ講師として「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマに旅の講座や旅行の企画、ツアーに同行する案内人や添乗員の育成などを行う。また自らもツアーに同行し、「世界遺産・日本遺産の語り部」として活躍中。旅行情報誌『月刊 旅行読売』に「日本遺産のミカタ」連載中。著書に『日本遺産の教科書 令和の旅指南』などがある。日本遺産国際フォーラム パネリスト、一般社団法人日本旅行作家協会会員、旅の文化研究所研究員、総合旅行業取扱管理者

運営:日本遺産普及協会


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