お蔵出し!文芸研究会・実話系ホラーシリーズ『猫の舌』

山村(原稿確認中):あれっ?この前書き、メッチャ怖いよ?

西脇:ただでさえ架空のキャラクターの会話って古い形式なのに、そこで自画自賛とか本当に気持ち悪いんで、止めてもらっていいですか。

山村:いや、これ、ホラー系の冊子用に前書きとして書かれた原稿なんだけど、FEAR飯の語り手によると、ここまでキッチリと書いた記憶が無いんだって。

西脇:ちょっと……やめて下さいよ。普通に怖いじゃないですか。

山村:うーむ、なんなんだろうね。ま、取り敢えずご覧下さい。何というか、フェイクドキュメントmeets私小説風怪奇モノ、みたいな感じになってます。病んでます

 怪談が書けない。一時間前に起動させたものの、パソコンの画面はいつまで経っても私の頭の中同様に真っ白なままである。歯軋りして画面を見つめ続けるだけの無作為な時間が過ぎていく。
 破天恐デモンズ・スペシャル。ほんの思いつきで口にした題名が、あれよ、あれよと言う間に企画として動き出した。そもそも、イタリア製ゾンビ映画の知る人ぞ知る名作「デモンズ」のDVDを安価で購入した嬉しさから、部室で適当に口走っただけの企画である。舌先三寸は、我が文芸研究会の伝統のようなもので、本棚に仕舞われている過去の出版物を紐解けば、数々の未刊プロジェクトが巻末に予告として記載されているのを見ることが出来る。デモンズ・スペシャルも、そんな戯言のひとつに過ぎなかった、はずなのだ。
 ところが、デモンズ・スペシャル、制作決定! と部室のホワイトボードに書き殴った数日後、それまで、怪談なんて何の興味もないような素振りを見せていた二年生のHさんが、唐突に「私がやります」と編集長を買って出た。さらに彼女は、私の知らない内に、現役部員へ恐怖体験を募るアンケートを実施して、冊子が完成しなければ許されない雰囲気を部内に蔓延させてしまった。アンケートを募る告知用紙には、はっきりと、こう書かれていた。「皆さんのアンケートを元にして、OBの、かぁなっきさんが血も凍る怪談を書いてくださいます!」と。
 原稿はHさんほか、数名も寄稿するとは言っているが、殆どは、言いだしっぺである私が執筆することになっている。執筆材料としてアンケートを行ったとはいえ、集まってきたのは聞き覚えのある心霊体験や、あまりにも筋道の通らない話ばかりだ。もっとも、最初から大ネタが来るとは期待もしていないので、予想の範疇ではあるのだが。
 アンケートについては適当にお茶を濁すとして、冊子のページ数を考えると、ある程度、まとまった形で私が独自に怪談を書くしかないわけだが、これがとんと捗らない。
 原因は分かっている。私が自分自身へ要求しているレベルが余りにも高いのだ。怪談本の読み過ぎで、どんな怪談を書いても「これはかの有名な○○氏の執筆スタイルを、安直に模倣した代物」に見えてしまう。
 書いては消し、書いては消し。無駄な作業ばかりがこの一ヶ月ばかり延々と続いている。ひとえに、マニアの性質の悪さである。
 デモンズ・スペシャルは、無料で配布する、半年後には忘れられているような冊子だ。だから乗客が消えてシートがグッショリ濡れていたとか、もう大丈夫だろうと思って目を開けると看護婦が扉の上から覗いていた、といった紋切り型の怪談を羅列したところで、誰からも苦情は来ないだろう。それが出来ない。もどかしさばかりが募る。
 既に夏休みも半ばを迎えた。怪談本を出すタイミングを完全に逸している。気晴らしに部室に行っても、編集長や部員達の、私に向けて放たれた冷たい視線を感じて首を竦め、そそくさと帰ることが多くなった。自分を叱咤激励してパソコンに向かう。  
 それでも、一向に頭も指も動かない。一人暮らしの部屋の中、パソコンの熱風を外へ送り出すファンだけが活動らしい活動をしている。時計を見ると丑三つ時はとうに過ぎている。明日もバイトだ。もう寝なくてはならない。こうなったら、英国における怪談の季節は冬なのです、と苦し紛れの言い訳をして締め切りを引き伸ばすしかない。うむ、そうしよう。
 明かりを消して、床に就いた。呆れ返る編集長の顔が思い浮かぶ。歯に衣着せぬ娘だから、「何に拘っていらっしゃるのか、あたしはとんと知りませんけど、先輩、素人が何を偉そうに作家ぶって構えているんですか。何でも良いから、さっさと書いて下さい!」と、あまりにも真っ当過ぎる説教を食らわせてくるかも知れない。そうなると、適当な言葉を接いで反論できる自信が無い。頭の中にどんどん蒸した綿が溜まっていくようだ。首を横に振り、髪の毛を掻き毟って、掛け布団を頭から被った。
「猫の舌は、なんであんなに長いのでしょうね」
 室内に低い女の声が響いた。私は一人暮らしである。心臓がぎゅるり、と縮んだ。
「どこまで伸びるのかしらと思い、ものは試しに引っ張ってみたのです。猫はまったく嫌がるそぶりを見せずに、私の為すがままになっています。まるで、お前の気の済むまでやればいいじゃないか、といった風情です」
何を言ってるんだ、この女は。
「そうとなったら遠慮は無用です。ざらざらとした舌の感触を指先で味わいながら、ぐいぐいぐいぐい、引っ張っていく、ぐいぐいぐいぐい……」
 何秒か沈黙があった後、
ぶちん!!!!!!!!!
何かが千切れる音が室内に響き、私は身を竦めた。女の発した擬音なのか、実際の物音なのか、判断しかねた。
 女が、げらげらと笑い出した。
「それ以上、引いては駄目だと、教えてくれれば止めたのに! おしえてくれればやめたのにぃ!」
 パソコンが置いてある机の周りを何者かが、恐らくは声の主である女が、どたどたと走り始めた。走りながら、やめたのに、やめたのに、と喘ぎ笑っている。
 緊張のあまりに吐きそうになるのを堪えて、女がいなくなるのを待った。いや、何の確証も無いが、いなくなってくれないと困る。頼むから、そのまま何処かに走り去ってくれ。
 不意に、足音が消えた。それと同時に掛け布団が剥ぎ取られ、目の前に女の顔が空気の幕を突き破ったように、ぬるり、と現れた。感情が一切感じられない、能面のような顔である。女が、口をゆっくりと大きく開いた。やけにぎこちない所作である。まるで、壊れかけたカラクリ人形だ。
 女の口の中には、舌が無かった。切り口がやけに歪なので、恐らくは千切り取られたのだろう。
 いや待て。舌が無いのにどうやって、こいつは喋っていたんだ。額から止め処なく流れる汗を拭うことも出来ずに、ただただ見つめていると、女の口がゆっくりと動き始めた。
「猫の舌は、なんであんなに長いのでしょうねぇ」
 そうか、女が話していたんじゃない。こいつは口をパクパク動かしていただけで、喋っていたのは私だったのだ。
どういうことだ。なんで私の口から、女の声色が零れ落ちていくのだ。
「どこまで伸びるのかしらと思い、ものは試しに引っ張ってみたのです」
 唇が、歯が、舌が、勝手に動いていく。背筋を何度も怖気が走り抜け、そのまま頭の中が凍えるような心持になって私は失神した。
 翌日も、一向に原稿は進まなかった。夕飯を済ませて、その旨を携帯電話のメールで編集長に伝えると、彼女は珍しく電話でかけ直してきた。
「いい加減に原稿を出して頂かないと困るんですけどね。アンケートを提出した部員からも、せっつかれているんですよ、いつ出るのですか、いつになったらアンケートの結果が拝めるのですか、とね」
「しかしね、君。書けないものは、どうしようもないだろう」
「もう締め切りを延ばすしかないですかね……ああ、ところで先輩」
「なんだい、改まって」
「猫の舌はなんであんなに長いのでしょうね」
 そうだ、彼女は私のメールアドレスは知っているが、電話番号は知らないのだ。慌てて電話を切った。着信記録を調べる。一昨日から誰もかけていない事になっていた。数秒ほど経ってから突然、震えが止まらなくなり、携帯電話を床に放り出した。そんな事をしても何の意味も無いのだろうが、電話を握っていた手と通話口に当てていた右耳を、何度も洗面台で洗った。
 その後も色々とあったが、そんなこんなで今回の冊子が完成したという次第だ。
 娯楽目的に書かれた冊子である。読者の皆さんにおいては、奴らに悩まされること無く、単に深夜の暇潰し、枕元の悪夢導入剤として、ご愛用頂ければ幸いである。
 何ですか。奴らって、誰のことを言っているんだ、って?
 それは、あなたの背後で肩を揺らしてケラケラと笑っている白装束の姉妹であったり、ベッドの下でぜぇぜぇと喉を鳴らす血塗れの子供服の塊であったり、僅かに開いたトイレの扉からこちらを窺うズダ袋のような御面相のお爺さんであったり……まぁ、そういった、奴らのことだよ。
 とっくの昔に、判っているくせに。

西脇:えーっと、これ、冊子の前書きですよね?

山村:うん。

西脇:頭おかしかったんですかね、当時のFEAR飯語り担当は。

山村:まあ……マニアの陥りがちなヤバい領域にいたんでしょうな。よく帰って来たもんだ、エライエライ。

西脇:いや、今も片足は突っ込んでると思いますけど……。

山村:そうそう、女のくだりは「そんなに足してない」んだそうです。では次の発掘原稿でお会いしましょう!

西脇:サラッと怖い事言うなよ!

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