禍ジナリア 「内田百閒について」

※これはnote用の企画として、「禍話」語り担当の中年男性かぁなっきと、怪談手帖シリーズの執筆者である余寒によるメールのやり取りから切り抜いて若干読みやすいように修正した断片です。題名はポーの「覚書(マルジナリア)」を捩りました。

1 (余寒)

(前略)恐怖のツボについて、百鬼園先生こと内田百閒が神懸っているという話、大いに賛同しますし、他ならぬかぁなっきさんが怪談表現において百鬼園先生を重視されているというのは、快哉を叫びたい気持ちです!! (烏滸がましいながら、私が妖怪や怪異を書く時は、百閒文学のあの怖さをほんのわずかでも再現したいと心のどこかで思いつつ、書いている節もありまして…)
異常なもの、恐ろしいもの、不気味なもの、あってはならないものが何かと交わる瞬間、或いはありふれた風景が急激に異様な気配を帯びる瞬間の表現が、百閒文学は凄まじいですよね。「サラサーテの盤」、『冥途』や『旅順入城式』の諸短編でも、ぞっと肌が粟立つ「タイミング」が随所にありました(それが必ずしも、恐怖の主体の出現やショッキング・シーンと重ならないところも、怪談の技法に通じるところを感じます)。
私が最も好きな百閒の作品のひとつが、隣家で起きた殺人事件を題材とした、エッセイとも私小説ともつかぬ「梟林記」という短い一篇なのですが、個人的にこの作品の幕切れの一節、子どもに話しかけて返された言葉というのが、物凄く怖い。個人的には百閒の記した中でも一番恐ろしく感じる一節です(大学時代、「河童文学」とこの「梟林記」のどちらかを卒論のテーマにするか本気で悩んでいたころ、図書館で河童関連の記事を探すために漁っていた新聞で元となった実際の殺人事件の記事に偶然出くわしぞっとしたことを懐かしく思い出します)。
また、私はサイコ系(人間が怖い)系怪談があまり好みではないのですけれども、同じく百閒の「青炎抄」の一編にある「桑屋敷」は、その種の話と分類するなら、最も怖いと感じる一つでした。
できれば一度、百閒に話を絞って語り合いたいところですし、GAGOZEの創作の中でも、自分なりに百閒的な恐怖にピントを合わせたものを書ければ…などと考えてもおります。

2 (かぁなっき)

いやあ、「梟林記」が手元になくて、焦っていたんだけど(笑)、双葉文庫で東雅夫さんがやつてる文豪怪談シリーズの第三弾が内田百閒で、めでたく梟林記も収録されたので、気持ち悪い偶然だなと思いつつ読みました。何故だろう、全然アプローチは違うんですが、芥川龍之介の「悠々荘 」という切れ味鮮やかなゴシックホラー掌編(個人的には神作)を連想しました。
変な話ついでに、俺、昔、子供の頃ですね、内田百閒と門弟たちを描いた映画「まあだだよ」ってあるじゃないですか、黒澤明監督のやつ。あれが、まぁ予告編しか見てないんですけど、妙に禍々しいものに見えて忌避していた過去があります(笑)。なんなんでしょうね。
個人的に百閒で好きなのは、マニアックなんですけど「坂」、これが一番怖いんですけど、余寒君のベストも聞いてみたいですね。

3 (余寒)

内田百閒の「坂」、再読しましたがやはり素晴らしい。『旅順入城式』所収の作品中では、「蘭陵王入陣曲」(一種の狂気の極点を描いたものだと思っています)と並んで、最も好きな一篇でした。騙し絵的な恐怖と坂の不安心理がぎゅっと凝縮されていて…。筆触分割でわざと粗く描かれた小さな坂の、息の詰まりそうな色彩と、その中に見える蟻のような四つの人影――そんな絵をイメージしてしまいます。最後の下りがまた怖いのですよね…百閒文学はこういう、恐怖や不安が極まって行って、ぞっと総毛立った瞬間で画面が止まるような、そういう演出が本当に「神業」だと思います。

「まあだだよ」は、私も観られていない(百閒関連の映像作品は実は「ツィゴイネルワイゼン」しか観ておらず…!)のですが、有名な「まあだかい(摩阿陀会)」題材ですよね。百鬼園先生自身は映画化について、嬉しいが映画にできるというのは「筋」がまだ残っているからだ、自分は「筋」を最後まで取り除いたものが書きたい…というような事を述べていたそうですが、百閒文学のすべて(「阿房列車」や「ノラや」「まあだかい」、他のユーモラスなエッセイまでも)において、筋を除いてゆくと最後に残るのは純粋な「不安」や「恐怖」なのではないかと思います(さすがに『冥途』系列作品の贔屓がすぎるかもしれませんが)。

あくまで個人的な百閒文学ベストは、「梟林記」「青炎抄」、そして「東京日記」でしょうか。「東京日記」は、幻想と妖怪の合いの子というか、日常に滲むそういう気配や、気づいたら溶けている境界みたいなものを描いた作品としては、ひとつの到達点だと勝手に思っております。作中の東京は現実の番地や地名で描かれていながら、そういうものが跋扈する風景として違和感がなくなっているんですよね。無声映画じみた白昼夢というか…
そこまでゆくと怪談からは逸脱してしまう気がしますが、しかし私が実話怪談を聴いているとき、最も「ぞっ」とする瞬間を上品に、柔らかく煮詰めたものがそれだとも思うのです。


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