河童川の流れ、或いは河童憑きの後遺症について(余寒)

※これは東京のイベントで配布した、怪しい茶封筒に入っていた手紙の一つを再現したものです。

大学時代の終盤、僕は河童に狂っていた。
こういう風に書くと、知人友人からは「お前はいつもそうだろう」などと言われるのだけれども、河童は恐るべき大河にして大海である。真にそれを愛し漕ぎ出さんとする人々に比べれば、ふだんの僕など、その広さ深さと黝い流れに圧倒され、水際で足を濡らして騒いでいるばかりのものだ(それでいて、馬のひづめ跡の水たまりに千匹潜むの言もある通り、ほんの卑近な所からでもその魅力に気軽く接する事ができるのは、まさしく自在なる河童の懐であるが)。
ともかく、その辺の河童好きに過ぎぬ僕が、大学の終わりごろに明確に「狂った」のは、何のことはない、卒論の題材に河童を選んだからである。
文学という切り口がはっきりしていれば、こんな自分でも河童と四つに組めるだろうと甘く考えていた僕は、昔話の驕った侍さながら、組み付くなりくらくらと眩暈して投げ飛ばされ、前後不覚となった。さてそれからは寝ても覚めても河童ばかり、河童、河童と呟きながら学内をうろつき回り、験担ぎに青竹を齧る真似をしたり、袖口に片手を隠してみたり、ただのゆで卵や餅を「コクの卵だ」と差し出したり、友人(皮肉屋文庫君)に「約束せしを忘るなよ」と唄ってみたり、後輩(風来坊君他)へのメールの挨拶を「Quax, quax」で始めたり――は半ば冗談としても、本邦の河童文学を片端から漁るのみならず、古新聞のアーカイブやデジタル・ライブラリに検索をかけて出た河童(とそれに類する語)の全てを日夜つぶさに追い回しては、こんな所に頭の皿が、あんな所に背の甲羅が、こちらには赤・青・茶の皮膚色が、毛のあるタイプが、小児系が、などと喜んだり笑ったり、一方で軍記ものの「河童将軍」「河童男」の形容だの、新聞記事の「河童連」という流行語だのに理不尽に腹を立てたり(いずれも泳ぎ上手や水浴者などを指す語で、河童の記述だと思って飛びついたらそれだったという事態が頻発したため)、確かにあの日々においては、僕は河童に狂っていたと言っても良かった。
そして、話は「禍話」へと(半ば強引に)接続するのだが――そのようなある種の熱病じみた「河童狂い」を経たからこそ、「怪談の題材としての妖怪」を、正しく実感できるようになったのかもしれぬと、今では考えている。
恐るべき大河の支流で、膨大な情報の洪水に溺れ、遮二無二「河童」の輪郭を探り続けた狂乱の日々は、親しんだ「妖怪」の周縁に生ずる「妖怪として統合され切らない何か」を情報として大量に吸収し、意識し直す体験でもあった。
水に呑まれ水を呑み、朦朧と流されつつ、逆巻く水泡の狭間に「妖しきもの」を細藁の如く掴んだ、その感覚――命からがら陸へ上がり、憑きものも落ちて、ただの河童好きへと戻った僕の中にも、その霊感の如きものが、かすかに残っていた。
いわば「河童憑き」の後遺症によって、僕は今「怪談手帖」を書いている……と言えるのかもしれない。

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