戯言 カニ汁 

父の友がお礼に大量のシャンハイカニを父にくれた。冷凍庫からあふれ出して、冷蔵庫もほぼ占領された状況になった。
自分も親父も痛風患者なので毎食それを食べてもできない。
近所の知り合いや友達もないなので他の人に押し付ける事もできず、その上に父、母と弟は帰省したから一人ぼっちでそれと直面していた羽目になった。
元々よりそれらは購入した何日も経った冷凍カニなので、そして解凍して蒸した、そして茹でてもしたがあまり旨いでもない。家には猫2匹、カニを彼らたちに食べさせるかどうかに迷っていた。二日くらい前に父さんが故郷の親戚からもらえたあの調味料として使っている中国南方の蝦米(しゃーみ)という、親指のつめのサイズくらいの干しエビを猫たちに食べさせた結果。二匹ともに、どちらが私から食べ物をもらえるかで争いを始めた。自分のかわいいさを最大限で活かしてして私に媚びを売るや、目のついてない所でキャット・ファイトもした。それがウザイすぎるなので、兎に角カニを餌としてくれる事は止めた。
そのままで2-3日常も冷蔵庫に放置されたら、妙な汁がででくる。
元々中国の家庭風料理は必ず暖かい汁か油が具にくっついて食べるのものが多い。それは美味しいですし、料理の温度と香を保たれるだとテレビから中華料理人がこう言った事もあった様ななかった様なーーそのために中国の家庭料理で最後鍋に水或いは煮出し汁のストックを入れて、汁と油の混ぜた液体を残ったままに皿に盛り付くのは通である。
しかしあれは料理がまた熱いの状態で、そしてちゃんと香辛料を付けていた状態の話です。テレビの中にいる中華料理人たちは皆それを知って、味のプロフィールちゃんっと考えていながら、生姜、ニンニク、唐辛子、五香粉、ごま油を酢、醬油と料理の酒と調和した後料理に入れるのは基本、ストックも勿論、地方によって独自の香辛料、薬草も入って中華料理の伝統と系統の群雄割拠になっている。
しかし自分の故郷は辺鄙な漁村なので、どの系統と伝統より料理の心を授けっていないのため、アプリオリの理論を持たず、純粋な唯物的経験主義の哲学方針の下で自発的の料理方法を作っていた。それはつまり、故郷にいた昔の人達は他の所より汁と油の入れた炒め物を聞いたのもあるやあるまい事でありましただろう。でも当地では薬草も、ごま油も、唐辛子も五香粉もない、ニンニクや醬油と酢は何故か入れない、生姜と塩だけてほぼすべての料理を片付けていた。肉は生姜と塩の湯で茹でた後、その硬い脂肪に熱の通してない肉片をそのままで食う、或いは醬油と酢を混ぜて食う事である。野菜と肉の炒め物も出せるですが、調味料もほぼ生姜と塩だけです。そしてちゃんっと火を通っていない事もある。半分は生の野菜汁を吸っている感じの野菜と肉の炒め物にも出会った事がありました。
もっと残念な事は、村の人口は殆ど漁民でありましたのために、昔の漁船で海上の速やかなの食事になれっているのため、海産物の料理について全然分かっていないそうです。
ざこの入れて茹でたお粥(台湾と福建の漁民の間には流行っていたらしい)を食べるか、或いは昔読んだヘミングウェイの「老人と海」のあの老人の様に生魚を調味料を付けて食うか、簡単に茹でた後に塩とかをかけて食うう事のどちらだろう。その習慣により故郷の人々たちの味覚は、特に海産物に向けて、絶望的に壊れている。海産物を生姜の湯で茹でた後そのまま、或いは醬油と酢の混ったソースで食うことになります。海水を飲む時に芳醇なミルクを飲んでいるだと勘違えるかもしれないかな?確かに日本でも簡単に焼いた茹でた海産物を調味料と一緒に食う事や生魚にソースとかをかけて食うものもありますが、ていうか寿司とその先祖となるふなずしもこの一種だと思いますが、自分の故郷のやり方はだめだ。海産類を直接に茹でた後で、それも食あたりに恐れて肉が固い煉瓦の硬度に達するまで、それに醬油と酢を付けてそのまま食うーーもしその肉は冷えたら、がりがりと肉のかき氷の様な食感がする、塩っぱいの味と、時に邪魔に来るでっかい生姜の一切れ。。。そして冷凍技術も遅れているのために海産物のあのもはや新鮮ではない臭みは出ます、その後全てを包み隠すのためにいる様な、けれど全然きいていない醬油と酢の混ざったソースをやって来る。
この味が嫌いだった、故郷の海鮮料理とは。だからガキの頃カニとエビの料理を食べずにいった。故郷は漁村なのでよく干した海産物や塩付けのものも親戚から家へ届かれますが、いまでも冷凍も冷蔵もちゃんっと出来ないのため、少し腐った海産物に一杯の塩を付けて、或いは只の太陽の下で何日も立って干された板の様な魚の断片を届いてる。味はない、塩や生姜の味も隠されない腐った魚の臭いだけは印象に残った。それは酷かった。あの臭みをいい味に勘違した人も故郷がいました。例えば少し腐っているするめと豚肉を生姜と塩の湯にそのまま茹でで、ネギを入れて食う料理もあった。

このカニの料理も、元々は冷凍庫も一杯になったために、シャンハイカニの保存出来ないなので父さんがそれらをとにかく生姜と塩の湯を茹でて。。そのままで皿に盛れた。故郷の伝統の教えのために少しの汁の残して、冷蔵庫に入れたーーそれを食べれる人も、食べたい人もいない事もかからわずに。そして今は残念ながら腐っている、あの食べきれないカニ汁が。あの漁村の民たちのバカみたいな、海産物と言う富の執着心と、それと合わなくて、海産物の保存技術も、その旨いものに変わせるための料理の匠も、その余った富の関しての使い方もしらないままに、魚と貝とアワビと干しエビを茹でて干して工場でパッケージに入れてとにかく売って売って売りまくっての様な愚行を続いている。でも誰もそれを食べたくない事も理解できなくて、冷凍の方は知らないが、生産された加工海産物の大半は省内で消費されて、余ったものを知り合いに配って人情や媚びを売るのために働くことにする事になった。そしてそれを如何にも正しいな、賢いな現代の漁民の生き方に勘違いしていた。
そしてその無意味の生産も残念ながら冷蔵庫の中で完全に腐った事になった。ネコでもそれを欲しくないだろう。アホの所業だ。ちゃんっとした冷凍庫に冷凍して、そして海産物のまともな加工芸術を先進国家から学んでから機械化、現代化を考えてくれや!何千匹のシャンハイカニが海流に乗せて漁船で捕まえったとしても。「大漁~大漁~」を吠え上がる前に、そのカニたち全部を食べもきれず、保存もできない腐っていて、味も失い只の肉片、しかも食中りを起こすかもしれないのに、それを加工してから売って、売れなくって人情や媚びを売るのために面倒の事を押しつけてそれで何ができるのか?
あのどぶ水みたいに黒い、腐った故郷の海のような腐ったカニ汁になるだけだ。。
先であの腐った、或いは腐って続いているカニをまとめてゴミ箱に捨てた。故郷にいる、少し分からない郷土の迷信にかじっている親戚の一人や二人か「くわばら、くわばら」なと、食料を浪費しちゃだめだと言う人もいるだろう。でも多分今更、それを「全部を食べろう」の様なバカな人もいないだろう。或いは「人にくれる」のも無理だな、この様な不味い、腐った、安い冷凍食品を?ては売るのかな?食当たりにしたらどうする?
ゴミ箱だ、この以外にのこ腐ったカニ汁たちの居場所はない。
因みに、もう一つの故郷の名産品として覚えていたのは、「鹹魚」、塩付けの腐った魚。それは鹹水を使ってなくて、沢山の塩を魚に塗って出来たものだけなのか分からないですが、それを硬く味もなく、しょっぱいの肉の板だけである。食材として料理に使うのは無理なので、家庭的には、ほぼ生姜の湯に入れて、そして食うだけであります。塩も、醬油も酢もいらない、簡単に召し上がれる、十九世紀のイギリス水兵の干し魚や肉のレーションみたいなものでありますね。

「You were old and very wormy, but we pass your failings o'er.
O, hard tack, come again once more!」
「あなたは年老いて、そして虫にやられた、
でもそれを見過ごそうーーー
オー、ハードタック(硬い、腐った、虫だらけのレーションとしてのビスケット)、もう一度来てくれ!(食わないと餓死する)」。

Hard Tack Come Again No More - Wikipedia

十九世紀のイギリス水兵の歌、不味いレーションに向けて

戯言でした

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