胸キュン is DEAD とは、なにか。

映画『PRINCE OF LEGEND』を見た。

▽以下ネタバレしかない・一回鑑賞で書いている をご了承ください▽

当方そこそこいい大人なので、明らかにターゲットからずれていますが、ハイローからLDHにズブった人間としてみなくては…という気持ちで。

胸キュン is DEAD

なかなかパンチの効いたキャッチコピーだ。

若年女性向け映画とすると、観客にケンカを売っているようにすら思う。

わたしも発表された当初は「胸キュンなんてくだらねぇよ!」みたいな展開になったらどうしようと少しヒヤヒヤしていた。

私もいい大人なので別段好きではないが、胸キュンは「若い女の子が好むもの」として、エンタメ業界においては重宝されながらも、どこか小馬鹿にされがちな存在だ。

所謂、「胸キュンキラキラ映画」が全く何の問題も孕んでいないとは私も思っていないが(未成年と成人の恋愛の描き方や、女の子の自主性など。ただし近年は大いに創意工夫が見えるとも思う)、イケメンが壁ドンとかするキラキラ映画笑、と、それにワーキャーいう女ども笑、みたいな空気感が、まぁなくはないよねという。

キラキラ映画は好きじゃなくとも、LDHまで「女性が好きなもの=下に見ていい」という流れで、「胸キュンなんて(笑)」と小馬鹿にしてくる感じだったら嫌だなぁなどと不安になっていたが、映画を見て(色んな意味で)それは吹き飛んだ。

胸キュン is DEAD

私はそれを、胸キュンを越えた先に、愛が芽生えるのだというメッセージだと捉えた。

映画は、バカバカしいほどに多数のイケメンが「胸キュン」を競う。
壁ドンで。お姫様抱っこで。顎クイで。デートで。告白で。ピアノ演奏で。とにかくありとあらゆる「胸キュン」を仕掛け、そしてそれがたくさんの女の子に採点される。

男たちは、採点している多数の女の子など見えていない。彼女たちから点を稼ぎ出し、見えているたった一人の女の子、成瀬果音、ただ一人に視線を注ぎ、胸キュンを披露し、そして捧げている。

 (とはいえ、観客の女の子たちをバカにしているわけでもない。この辺りは劇団EXILE総出演映画「jam」と似ている。消費する側とされる側という構図)

しかし成瀬果音は、それを拒絶する。彼女ははっきりとそれを、男同士の競い合いでしかなく、私のためでもなんでもないと告げ、ただのトロフィーとしてしか価値を与えられない戸惑いを、ぶつけた。

トロフィーなら喜ばしいことじゃないか?いいや、ちがう。果音は、恋したかったのだ。真っ当に。真っ直ぐに。

成瀬果音が、優勝を引っさげ現れた奏にそのことを告げるシーンは、白石聖さんの演技が光るシーンだった。

思ったことを口にしているように見えて、実はずっと隠していた「あなたとちゃんと向き合いたい」という気持ちが溢れ出し、そしてあっけなく崩れていく様が、彼女のこらえた涙に映し出されていた。

形骸化した「胸キュン」の競い合いから、一対一の愛は生まれない。こういうのがいいのだろう。ああいうのが嬉しいんだろう。そんなものは、何一つ相手を見ていない。大勢の人々に向ける「胸キュン」と、一対一の関係での「胸キュン」はちがうのだ。

ドラマ版からずっと、男たちは果音の気持ちを確認しないまま突っ走ってきた。その終着点として、そういうものは嬉しくもないぞと、果音にきっちり否定してみせた脚本を見ることができて良かったと思う。

最後、奏が走る姿がとても印象的だった(もちろん制作側も、そこを見せようという意気込みがあったと思うが)

今までどこに行くにもバカでかいリムジンで乗り付け、誠一郎と元の2人を横に従えてしか行動していなかった奏が、ついに一人で、そしてその足で、成瀬果音の元に、自分の意思で駆けつけた。

今まで母親の大きすぎる期待を実現しようと、そのことだけに縛られて生きてきた奏が、たった一人で駆けていく様は、まさに生まれて初めて、自分の力で何かを掴み取ろうとする自立の瞬間でもあっただろう。

奏を送り出す久遠誠一郎の姿も、良かった。

誰よりも近い場所にいる、誰よりも愛する相手が、他の誰かの元に、行ってしまう。その背中を押すことは、まだ若い彼にとって、どれだけ辛いことだったろう。

けれどその辛さ以上に、今ここで彼を行かせなければ、という強い決意を感じさせる塩野瑛久さんの表情は、この映画の中で最も美しく切ない表情だった。

そして京極尊人。

今まで結構果音さんの気持ちを無視して突っ走ってきた(よく言えば一途で情熱的なのだろうが)尊人も、最後は果音と一対一で話し、そして彼女の気持ちを最大限汲み取った。
それは彼にとって、望ましい結果ではない。しかし彼は、引いてみせた。彼女には彼女の気持ちがあり、それは必ずしも自分の想いとは一致しないのだ。

私はそれなりにいい大人なので、成瀬果音が奏に心惹かれる場面については、もう少し説得力がほしいなと思ってしまったが、ラストの「きちんと相手の同意を得て触れ合う」奏と果音の二人を見たら、おっけーです!という気持ちになってしまった。

結論、めちゃくちゃLDHっぽい映画だった。

胸キュンを小馬鹿にすることなく、しかし胸キュンが持つ弱点はさらけ出し、自分と相手、相手と自分という人間同士のコミュニケーションこそがキモなのだと教える。

ハイローから、いやそのずっと以前から続くLDHの考えが、一見LDHっぽくないこのキラキラとした映画にもしっかり根付いていた。自分たちがいいと思う、正しいと思うものを見せる、実にLDHらしい映画だった。

どのキャラが好きな子にも、ある程度希望を持たせるようなエンドも、良かった。

フラれても、一人ではない。友達がいて、仲間がいて、兄弟がいる。次があるかもしれないし、もしかしたら正面きってのリベンジだってありえる。これで終わりじゃない。そういう空気が流れていた。

奏を見てばかりいた誠一郎だって、今度は自分が視線を注がれる立場になろうとは思ってもいないだろう。頑張れ鏑木元。下克上するんだろ。根性みせろ。

最後に。この映画いちばんのバイブスぶち上げポイントは、王子マインドフルネスもとい王子メディテーションもとい王子の連呼による精神統一「王子瞑想」に超マジのガチ顔で挑む結城先生(町田啓太)なので、よろしくな!


アルフォート!アルフォート!アルフォート!時々ダース!