山のあなたの空遠く 「幸」住むとひとのいふ #教養のエチュード賞

ねむる山や、わらう山、したたる山に連れられて行ったことがある。

まだ性別もないような子どもの頃のこと、わたしは母の地元に帰省するたび、山へ行きたい、とねだった。

山といっても、ほんの里山である。

夏場でも長ズボンに長袖、長靴の格好は、歩くというより跳ねると形容した方が近いような子どもには少々窮屈だったけれど、マムシが出るというので仕方がない。なにやら、刺す虫もいたことだろう。
ちなみにマムシもハチも見たことがない。あるのは縞蛇ぐらいのものである。

そういえば、どこかで白蛇を見たことがある。

わたしは人よりも雑草に親しみを見出す子どもであった。よりはっきり言うと、社会からは浮いていた。いま思えば母は胃が痛かったことだろうと思うが、当の子どもが平気の平左だったので仕方がない。やんわりとお達しが出た、『マンションの坪庭には入らないこと』『木登りはしないこと』『通学路以外の道とくによその畑の畦道を歩かないこと』などは、実はわたしのことを指していたに違いない。

ほんの子どもの頃、わたしはアンやジョーよりトムやモーグリ、ブリアンになりたかった。

山に話を戻そう。

山が好きだった。山には枯れ枝がたくさんあったし、枯れ枝は雑草より格が高かった。
高校の英語教師を引退したあと、木こりをしていた祖父がときどきは機械の荷台に乗せてくれたし、そんな機械に乗って細い谷川の細い橋を渡るのは愉快だった。谷川と言っても可愛い小川だ。数メートル下の谷に降りて沢蟹を探すのも楽しかったし、湿った杉の枯れ葉を踏みながら川伝いに山を登ってゆくのも好きだった。透き通った水が足元から濁っていった。

山には気配があった。それは山が笑っていようと眠っていようと、今にも弾けそうなくらい張り詰めていて、わたしに視線を注いでいる。

『暗くなってから山におると、神さんに取られるよ。』

祖母はそう言ったが、わたし自身昼間でも、ひとりでは、家が見えなくなるところまではよう行かなかった。
畏れという言葉は後から知った。

山には息吹があり、その息吹には無数の命の気配が満ち満ちていた。それを吸って、吐く。吸って、吐く。吸うことで吸った命を殺し、吐くことで体から解放する。繰り返すことによって、わたし自身が山の一部になっていく。

誰かがわたしを見ている。山の主か、『神さん』か。
そういうものが、わたしを見ている。山の一部にして、山に取り込もうとしている。夏に繁茂するかずらが、打ち捨てられた小屋にのしかかっている。したたるように、わたしも飲み込まれたかった。

はみだすことを集団に組み伏せられることよりも厭わなかった子どもだったが、そんな呑気な子どもにも自殺願望はあったらしいと大人になってから気付いて、母に話すと、曰く、わたしは自分で思っているほど呑気な子どもではなく、過敏で神経質な子どもだったらしい。
それでも今になって聞くことができるようになった母の愚痴の中に、わたしのことは含まれていないので、よしとしてほしい。

そらそら、すまなんだことでした。



教養のエチュード賞に出品いたします。


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