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NIDoNeの寝言 001 「下北沢とモラトリアム」

ずっと憧れ続けている街。「下北沢」

北海道から上京してからもう東京の方が長く生きていることになる。
もう道産子と名乗っていいのかもわからないが、北海道出身って羨ましがられるので、
道産子をずっと名乗ることにしている。

そんな自分の憧れの街が「下北沢」である。
大学時代の自分にとって、古着と音楽とドラマが溢れているこの街は桃源郷。
今は月に数回休みをとってライブを見る前にこの街を散策してる。

コロナ禍で少し寂しい街並みだけど、歩いているだけで元気がもらえる気がする。
CD屋さんが少なくなったことは寂しいけど、イヤフォンからずっと音楽とかラジオを鳴らしているので問題ない。スマホってすごい。
昔は試聴機が友達だったのに・・・

下北に行くと、食べたいものを食べて街ブラしてカフェでコーヒー飲んでぼーっとする。
本当に最高な瞬間でだと思う。いつまで続くかわからないけど。

そしてこの後ライブを見に行くときたもんだ。
上京してから18年以上自分の根っこは変わっていないのは我ながらすごいと思う。

下北沢に行く理由としては、モラトリアムという名前のライブイベントに行くことなのだが、
モラトリアムという言葉自体も今の自分にはとても合っている気がする。

モラトリアムの意味に感じる切なさの正体

モラトリアムという言葉にはいろんな意味があるが、
人間の発達を可能とする準備期間のことで、エリクソンという人が命名したそう。

肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間。
また、そこにとどまっている心理状態というある意味「厨二病」とかに近いネガティブな意味で用いられることが多いのかも知れない。

でも、成人が偉いのかと言えば違うと思うし、時には立ち止まって自分の好きなもの、
好きだったものに向き合う時間が少しでも無いと老けちゃうし、
つまんない人間になってしまいそうで、どうしてもそこから抗いたいと思う。

これができる人って意外と少ない。年々面白くない人が増えていく気がするけど、
自分から面白いものを探さないと見つからない年齢って急にやってくる。

面白いものを探すことを諦めて人が皮肉や嫉妬を込めてモラトリアム的な意味で、
「まだそんなことやってるの?」とか、「そんな時間があって羨ましい」とか言ってくる。

諦めた人って一気に老けるなって見てて思うし、
いつまでも好きなものに囲まれるのって最高だなった思うんだけどね。
やっぱり年相応っていう言葉って一番の多数派だから、そこに流れるのも正解だと思うし。
誰も否定しないけど、否定してくる人は老けるよ!!って心の中で言ってる。

何が言いたいのかっていうと、いまだにこの年齢で下北を楽しめる人間で本当に良かったと思う。
これからも面白いものを探して無理しない程度のはしゃいで行きたいなって思う。
多趣味で強欲だけど、自分の人生だし、ストレスなく行きたいよね。
そして今日も音を浴びに行きます。明日からも笑顔で生きるためにね。

本当に寝言みたいな文章だな・・・微睡んでる。
ではまた夢の世界へ行ってきます(現実逃避)

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