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1111文字のどろどろ。


2年前からずっと、苦手な人がいた。



SNSで繋がる前から、その人の存在は知っていた。「友達の友達」とか、「フォロワーさんのフォロワーさん」だったりすると、直接交流したことは無くても認知しているということは、ネットの世界ではよくあることだと思っている。

その人に限らず、やりとりしていない段階で「あ、この人のこと好きになれなさそうだな…」と思うことが私にはままあって、そういう時は大抵自分からミュート等をしておく。


その人にも、予感があった。そして関わりが出来てしまったが最後、それはどんどん確信へと変わっていった。
勿論、関わってみたら意外と平気だったという場合もある。怖い人だと思ってたけど怖くなかった、とか。

でも今回は、やっぱり駄目だった。あの人を見かける度に、嫉妬をしている。無いものねだりをしている。勝手に僻んでいる。そういう自分を疎ましく思う。

どうしてこんなに醜い心になってしまうのか、自分でも不思議なくらいだった。嫉妬だけではなく同族嫌悪も入り混じっているのか、或いは。

そうしているうちに、その人も含めて、みんなが仲良くしているのを遠巻きから見るようになってしまったし、“遠巻きから見たくなって”しまった。
「私とは関係ない」、「私とは別の世界」と思いたかったのかも知れない。


「ネットの世界でくらい、好きな人とだけ関わりたい」という気持ちと
「とは言え実際それは無理だし、そんな風にしてたらますます狭量な人間になるのでは」という気持ちが、いつもないまぜになっている。

仕事を始めてから、好きでも嫌いでもない人と関わることって大事なんだな、と思った。
なんとなくだけど、現実世界においてはそれが少なくとも自分にとっては大切なことに思えたし、今でもそう思っている。

でも、たたでさえ私たちは現実世界において、苦手な上司や理不尽なお客様と相対したり、時にセクハラやパワハラをされたり、家族とうまくいかなかったりして、辛い。
だからネットの世界でくらい、と私は考えがち。


2年前のあの時に、やっぱりブロックしておけば良かったのかな、なんてふと考えてしまった。
その人を傷つけて、自分を守るという選択肢。
(別に今自分を傷つけてその人を守ってるなんて思わないけれど)

「なんか知らないけど、にどねさんにブロックされてるんだよね…」と、その人が誰か近しい人に相談したとして
それで仮に私の良くない噂が流れるとか、印象が悪くなったとして
それでもやっぱりブロックしておけば今頃平穏だったのかなーなんて。
SNSに疲れることもなくて、一昨年と同じように私は楽しくいられたのだろうか。


私は今、2年前の自分に苦しめられているのかしらと考えて、実に滑稽だなと思った。


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