陰陽五行説を割とわかりやすく解説(1)

 茶道等でよく出てくる陰陽五行の基礎的な事項について、できる限り理解可能で網羅的な形でまとめた(つもり)。陰陽五行について聞かれた時に紹介するために記しておく。

 中国古来の思想に陰陽説と五行説がある。これらの説は紀元前1000~700年ごろに中国を統一していた周が衰退してから、紀元前200年ごろに秦が中国を統一するまでの戦乱の時代である春秋時代に盛んになる。

陰陽思想

 陰陽説とは森羅万象が陰と陽という2つの対立する性質を持つ気によって生じるという思想である。陰と陽は受動的/消極的なものと能動的/積極的なものを表しており、具体的には陰は暗、柔、女、湿、冷などを表すのに対し、陽は明、剛、男、乾、温などを表す。ただし陰陽は善悪のようにどちらが上という価値観を内在するものではなく万物を構成する対等な2要素であることが重要である。

 陰陽説は古代中国神話上の3人の神である3皇が1人伏羲(ふくぎ)がもたらしたとされる易経に記された占い卦で用いられる。卦では陰と陽は「⚋」と「⚊」の2種類の記号(爻)で表される。まず陰と陽を生み出す存在として太極があり、太極が両儀を生み出し、陰陽の2つの組み合わせとして四象、3つの組み合わせとして八卦が生成される。これは二進法を考えると理解しやすい。

 両儀は陽⚊(1)、陰⚋(0)である。

 漢易において、四象は太陽(夏)、少陰(秋)、少陽(秋)、太陰(冬)と表される。一方で宋易では天と地に対し四象があり、天の四象は太陽(日)、少陰(辰)、少陽(星)、太陰(月)と表される。地の四象は太剛(火)、少柔(土)、少剛(石)、太柔(水)と表せる。これを爻および二進数と対応させると以下のようになる。

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 八卦は乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤からなる。二進法と対応させると以下のようになる。

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 卦名は現代日本語でもよく用いられる。「当たるも八卦当たらぬも八卦」「乾坤一擲(一擲乾坤を賭す)」などは度々耳にする。また乾(いぬい)、巽(たつみ)、艮(うしとら)、坤(ひつじさる)は方角を表す言葉としても用いられる。これは八卦が十二支と合わせて考えるとわかりやすい。(後述)

五行思想

 五行説は古代中国の自然哲学の思想であり、万物は木・火・土・金・水の5元素からなるとする思想である。西洋の四大元素説としばしば対比される。

 五行の関係性として「相生」「相克」「比和」「相乗」「相侮」という5つの関係が存在する。

「相生」は木→火→土→金→水の順で表され、木が燃えて火を生み、火が灰を作り土を生み、土中で金属が生じ、金属の表面で水が生じ、水により気が育つという生み出す関係性を示している。

「相剋」は木→土→水→火→金の順で表され、木は土中の養分を吸い土を痩せさせ、土は水を濁しまた吸い取ることで勢いを弱め、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切り倒すという打ち滅ぼす関係性を示している。

「比和」は同じ気が重なると強め合うことを示している。

「相乗」は相克がより強くなったもの、「相侮」は相克の逆で反剋の関係性を示している。

特に重要な「相生」「相剋」の関係性は以下の図で表される。(Wikipediaより引用)

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 五行は自然中の5元素を表すほか以下のような要素も表す。(一部)

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 五獣や五徳はよく見るため知っている方も多いだろう。また組み合わせて人生の時期を青春、朱夏、白秋、玄冬と表すのも有名だ。五臓六腑という言葉も聞いたことがあるに違いない。五味は文化によって異なる定義が存在するためいずれ記事にしたい。

 また古代中国の5人の天子を五帝と呼ぶ。これは複数の定義が存在するが、例えば司馬遷の史記では黄帝、顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、堯、舜の5人としている。これを先ほどの三皇(伏羲、神農(炎帝)、女媧)とあわせて三皇五帝とよび古代中国の神話伝説時代における八人の帝王を表し、理想の君主とされる。秦の始皇帝は中国を統一したのち、国王よりも高いくらいとして皇帝を名乗ったがその起源は三皇五帝にある。

陰陽五行説

 以上に紹介した陰陽思想と五行思想が春秋時代に組み合わさったものが陰陽五行説である。陰陽五行説の基本は五行にそれぞれ陰陽を対応させた十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)である。これは五行に陽陰を表す、兄(え)と弟(と)を組み合わせたものであり、例えば甲はきのえと読む。「えと」はここに起因し干支とは元来十干を指すものだった。また十二支にも五行が対応しておりその関係は以下のようになる。

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 子が11月にあたるため茶道では11月を正月としており、炉開きはその前月の亥の月の亥の日に行う。これは亥が水の陰であり、陽の火とは対極にあるため家事を防ぐことなどから決められている。同様に、風炉中に炭を組む前に水の卦である☵や水の文字を火箸を用いて描くことがある。

 また、先述した通り十二支は方角に対応しており、北東、南東、南西、北西は順に辰巳、未申、戌亥、丑寅であるがそれぞれに八卦の漢字を当て巽、坤、乾、艮と表記することもある。(図はhttp://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/jyunishitohoui/より引用)

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九星

 九星とは古代中国の民間信仰であり、一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫からなる。九星は1~9の数字を用いた魔法陣を起源とし、そこに白・黒・碧・緑・黄・赤・紫の7色と五行、八卦を配当したもの。

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これを九星図にあらわすと次のようになる。(https://seishinenomoto.hatenadiary.jp/entry/2015/10/09/153442より引用)

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 方位を北西ではなく西北と書いたり、九星図を北をしたとして描くのは通例のようだ。これらの九星は年月日時に配当され、五行の相生、相剋、比和の概念を用いて吉凶の判断が行われる。

干支

 十干と十二支は陽と陽、陰と陰を組み合わせる形で用いるため干支は10×12/2の60通りとなる。したがって干支は60年で一周し、60歳を還暦と呼ぶ。中でも火の陽が重なる丙午は火災が多いと言われたり、日本では八百屋お七が丙午生まれであったことから丙午に生まれた女性は気性が激しく、夫に不幸をもたらすとされたため1966年の出生数が大きく低下したりしている。また五黄土星と寅が重なる年である五黄の寅も気が強い女性が生まれるとして忌避される。こちらは九星と十二支の最小公倍数である36年に一度訪れる。

 また陽(奇数)の月と陽の日が重なる日のなかで一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日は五節句と呼ばれ年中行事を行う最も重要な日とされた。

 とりあえず、ここまでを基礎的な事項としてまとめておく。何か問題点、疑問等あればコメントいただければ幸いです。

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