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「愛犬。」/ショートストーリー

わたしにはいつもそばに犬がいる。
お利巧な犬。
名前は「イチ」。
わたしのことが最優先だ。
日本犬のせいだろうか。
番犬って古い言い方かもしれないが。
とにかく、わたしを守るのがイチの仕事になっている。

だから。
とてもわたしは安心していられる。
正直、わたしは虐められやすいタイプのようなのだ。
わたしはおとなしくて圧の強い人にはどうしても逆らえない。
わたしが間違っていなくても言い返すことが出来ず、もごもごしてしまい、結局泣きを見る目にあう。
だったのだが。

イチがきてからは、そんなことがなくなった。
イチはそういう相手を睨みつけるのだった。
それにわたし自身もイチがいる安心感からか、小心もののような態度をとることがなくなった。
それやこれやで、わたしを虐めようとかするひとは減っていった。
それとあまりにひどいと相手に罰が当たるようで怪我したりするのはわたしだけの秘密だ。
わたしは嬉しくてイチを可愛がった。
わたしとイチはいつも一緒だった。

だが。
最近、イチがそばにいないことがあるのだ。
ちゃんと呼べば帰ってくるので、探しにいったことはないけれど。
ただ。
イチがいないとわたしは前のように不安になる。
前の自分のように自信が持てなくて、おどおどしてしまうのだ。
一体、イチはどこに行っているのだろう。

そんな時に、郷里から母親がわたしのアパートを訪れた。

「ちゃんと。うまくやっているの。子供の時はよくお友達に泣かされていたけど。」
「母さん。いつの話しよ。もう10年も20年も前のことじゃないの。」
「それなら。いいけどね。あんたって子はなんていうか。。。」
「わかっている。自分でも。でも、今は違うの。そんな感じしない?」
母親は、わたしをしばらく眺めて考えている様子だった。
「今はね。犬を飼っているの。わたしを守ってくれる犬がね。」

その言葉を耳にした途端、母親の形相が怖ろしく変わった。
「アパートで犬なんて飼えないでしょう。あんた、何言っているの?」
母親の声は確かに震えていた。
「どこにいるっていうのよ。その犬は。」
「今いないけど。呼べば、すぐに戻ってくるわ。」
わたしは母親が何故そんなおかしなことを言うのか理解できなかったが、大声でイチの名を呼んだ。
イチはいつものようにちゃんとわたしの傍へ戻ってきた。
「市子。あんた。また。。。」
「どうしたのよ。ほら。可愛いでしょう?」
母親はガタガタと震えていた。
まさか、イチったら怖い顔でもしているのかしら?
わたしはイチを見た。

イチはいつもの可愛い顔ではなかったし、犬でもなかった。
禍々しい何かだった。
わたしはぽかんとイチを見るしかなかった。
そして、やっとその禍々しい何かは姿見に映っている自分だときづいた。
えっ。
イチはわたしなの。
そう言えば、ここへわたしが引っ越したのはまわりでけが人が出るからだった。
幼い時から、わたしを虐めたひとたちはただではすまなかった。
母親がわたしにいつも怒るじゃないって言っていたけど。
そうか。わたしだったのか。
罰を与えていたのは。
なんで忘れていたんだろう。

その禍々しい何かは母親という女の前から消えた。
母親は泣くしか術がなかった。









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