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人生とは、○○である

「人生とは、山登りのようなものである」

といった具合に、

「人生とは、○○だ」という表現をよく耳にします。


山登りには登りも下りもあって、

キツイ時もあれば楽な時もある、

それはまさに人生のようなものだ、

という内容で。


もちろんこれも正しい。

とは思いますが、


おそらく、もっと色んな形で、

僕たち一人ひとりの中に、

「人生とは○○」があるんじゃないかと思うのです。



僕的な「人生とは○○」

最近僕が思うのは、

人生は、終わりのないオセロのようなもの

じゃないかということ。


白と黒が互いに相手の石を挟んではひっくり返し、

どちらの色が多いかを競う、オセロ。

それのロングバージョン。


”白の石”をうれしいことや楽しいこと、ポジティブなもの

だとすると、

”黒の石”は悲しいことやつらいこと、ネガティブなもの。


僕たちはこの両方の駒を、自分で持っていて。


オセロって、最初は展開が互角でも、

盤の上の石が増えてくると、

一気に白が増えたり黒が増えたり、

展開がひっくり返ったりしますよね。


「今は黒が優勢やけど、あそこを取れば一気にひっくり返せる」

というような場面とか。


人生にも、そんなことが多々あると思うんです。


ずっと黒が優勢だったけど、

白を一手置いただけで、

それまでの黒が一気に白にひっくり変えるっていう現象。


「なんとなく最近流れが悪いなー」と感じる時は、

黒が先行している時。

そんな時は、自分の感じる「白」を、打ってみる。

楽しいこと、ワクワクすること、

興味のあることをしてみる。


するとあれよあれよと、

黒が白へひっくり返ってしまうかもしれない。

きっかけ一つで、展開がガラッと変わる。

そんな可能性があるんじゃないかってことです。



一日一コマ、とは言ったけど、

実際は「先の展開」を考えすぎて、

一コマも打てない時もあると思うんです。


そんな時は一番苦しい。

ゲームが進まないから、状況も変わらない。

そういう時は、
一息入れて休むのもアリだと思います。


そしてまた、自分の思う「白」を、

少しずつ打ち続けていく意識が大事なんだと思う。

「ここだ!」と打って実際微妙であっても、

また次の展開がやって来る。

打てば、ゲームは進むし、先へ進める。

動けば、物事は動くと思うのです。


そして、ゲーム(人生)の終了は突然やって来る。

終わりの前兆を感じる人もいれば、

突発的にシャットアウトされる人もいる。

あらかじめ知らされる人もいる。


ゲーム終了の時点で、白か黒、どちらが多いか?

どちらを多くしていたいでしょうか?


きっと僕たちは、ゲーム終了を

いつ迎えてもいいように、それまで

白を増やしておくことが大事なんじゃないかと。



追記

オセロの石って

裏表で白黒になってますよね。


そして僕たちは、白と黒両方持ち、

それを選択していると書きましたが、


このまさに表裏一体の石を

白で使うのか、黒で使うのか

は僕たち次第ではないでしょうか。


どれだけポジティブなものでも

卑屈に受け取れば、それは黒

ネガティブなものでも

「いつかこれは白に返せる」と思えば白。


どちらにもひっくり返せるということ。



そしてもう一つは、

現段階で良し悪しを決めないこと。


黒が優勢であっても、その後

一手の白で黒を白にひっくり返せることがあるから。




まだ、善悪の判断は早いですよ。

未来のあなたに訊いてみてください。

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