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僕たちはきっと何も知らない


僕は、あなたの何を知っているというのだろう。

あなたは、僕の何を知っているというのだろう。

あの人は、あなたの何を知っているというのだろう。

あなたは、あの人の何を知っているというのだろう。



僕たちが人に対して

「知っている」と思っていることは、

その人の”一部分でしかない”と思う。


職場では見せない顔を家では見せているかもしれないし、

家では見せない顔を職場では見せているかもしれない。

家族には見せない顔を友人には見せているかもしれない。

人前では笑顔でも、家では落ち込んでいるかもしれない。

逆もしかり。



それでも僕たちは、自分が見た一瞬を切り取って

「あの人はこう言う人だ」

「あの国はこういう国だ」

「あそこはこういう場所だ」と

色々とラベリングする。


多分、自分の中で整理するために

カテゴリー分けして引き出しに入れないと不安なのだろう。

「わからない」だと何かモヤモヤするから。



世界のことも日本のことも、

地域のことも家族も友人も、

挙句の果てには自分の事でさえも、

自分のフィルターを通してわかっているつもりでいて、

きっと何も分かっていない。


何も知らない。



でも、「わからない」という事実に気づくからこそ

初めて「知りたい」と思う。


人であれ国であれ、

「自分が思っているものがすべてではない」ということ。


そう感じたときに初めて、何かを「知る」ことができる気がする。

だからもっと知りたいし、知ることは楽しい。


人は思っているよりも、複雑だ。

その人の事を一言で表せるような、シンプルな人はいない。


だからこそ僕たちは

予想外の出来事に

喜んだり、悲しんだりと

喜怒哀楽の感情が生まれるんだろう。

自分のフィルターを越えてくるからだ。



「事実は小説よりも奇なり」って

ホンマやなあと実感する最近。

いい意味で、面白い世の中になってきそう。


素直に、力まず、目の前の、ありのままを。





僕が、あなたが、

「こうだ」と思っていることは、本当にそうだろうか?

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