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藪の中

『さようでございます』『或る日の暮れ方の事である』『堀川の大殿様のような方は、これまではもとより、後の世には恐らく二人とはいらっしゃいますまい』『或日のことでございます』『或春の日暮れです』『禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない』

すべて芥川龍之介作品の冒頭である。『今昔物語』(藪の中)や『宇治拾遺物語』(地獄変)といった古典が題材ということもあるのか、美しい日本語の響きがあり、美しく甘美な世界へ導かれる。

『平安時代のある藪の中を舞台に、殺人と強姦という事件をめぐって4人の目撃者と3人の当事者が告白する証言の束として書かれている。それぞれが矛盾し錯綜しているために真相をとらえることが著しく困難になるよう構造化されており、未だ「真相」は見出されていない。その未完結性の鮮烈な印象から、証言の食い違いなどから真相が不分明になることを称して「藪の中」という言葉まで生まれた』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

誰が嘘をついているのかわからず、

わからない、ということで不安になり犯人探しになってしまう。

平安時代でなく、現在社会でも

それぞれの立場によって真実は違う、自分自身の見えているものが本当で、そうであって欲しいという願いもあるのかもしれない。不安だから。わからないことが不安。

真実はひとつでないから、争いも起こるし協調も妥協もある。

それぞれの欲、保身、打算、怒り。

盗人の多襄丸、強姦された女、殺された夫。

みんな嘘つきで、彼らの本当がある。

当事者しかわからない。

嘘でなく、見えたものが異なっていた、という心理も深く怖い。

美しい日本語で、人間の心の脆さ不思議さが描かれ考えさせられた。

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