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音楽について考える

こと音楽に関して、みんな片思いだと思う。 

 作り手は見えないすべての人たちに向けて音楽活動という千本ノックをしているのだが、受け取り手は音楽を自分の手に取り、自分の中身の中に昇華していく。

一体いつその一曲の自分らしい解釈が降りてくるのかも人それぞれで、もしかしたら作り手の意図とは反してネガティブな曲は前向きになり解釈は変化しているのかもしれない。 

ポケモンのメタモンみたいに変身してできればどんな曲も受け取り手の心に様々に降りてこればいいと思う。

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 片思い中、人は想い人のことしか考えられず、頭の中が相手のことでいっぱいになる。

それは音楽も同じで一つの曲一つのバンドにハマって毎日起きている時間中一曲を聴き続けていることなんかもざらにある。 

でもどうしても音楽への片思いは続く。 

作り手への興味を持ったり、曲への発見、新しいバンドとの出会いでもう一度同じ曲に戻ってきたときは自分の解釈の変化に戸惑う。 

自分の想いが日々変化したり彷徨うのも、片思いのそれとおんなじだ。


 音楽の起源というのは36000年前ともいわれそのころに楽器の前身が生まれている。

また、歌の起源は、普段話しているときや感情的になったときのイントネーションの変化から生まれたとも働くときの掛け声からという説もある。 

では私たち人間が36000年前から音楽に片思いしているのだろうか。 

私の聴きたい音楽との出会いはメジャーデビューした椎名林檎の幸福論。タワーレコードのブースである。

ビジュアルも音楽も本当に衝撃的だった。

それまでテレビで流れる音楽に身を任せていた私はこのときに音楽を知るためにCDショップに行くという方法を得たのだ。 

私はこの時に音楽との出会いを果たし片思いを始めた。


様々なバンドやアーティストが増え、受け取る方法も変化したことで今の音楽業界はそのころから見ると違う惑星に来たくらいには違っていることだろう。 

増えたり変化したりして、でも、私たちは音楽に出会ってしまうと片思いをしざる負えない

どんな出会い方をしても一生の一曲に出会うことはあるし、音楽は人生を変える。 


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 そんな中、私は一つのバンドに出会い、メンバーの皆がお互いの中に自分の今までの音楽への道しるべの意味を見ているのを目にした。 

音楽は時に片思いではなく両想いないしそれ以上に人生を変える結びつきを産んだりもするのだ。

一人のメンバーが自分の足らないところを他のメンバーにより補い、自分の価値と自分の今までの音楽活動の意味を見出している。 

それは生まれて35年11ヶ月の音楽への片思いを続けている私にとって非常にうらやましいことであった。 

そしてたまたま、それが自分と相手という片道切符の一人のものではなくバンド内でお互いがお互いにそう思い合うことができているのである。 

私はバンドとはこういう絆がありそこで音楽は生まれているのだと発見した。 

尊敬をするという言葉だけではなく達成感のある出会い、奥深い人間関係だ。 

私の音楽への知識のなさに恥ずかしい気持ちになった。

音楽活動の中で人との絆をつくるまでに音楽は人間の中に根付き、育っているのだろう。

 

人はうまく言えないことを音楽に求める。 

人は悲観を表現することを音楽に求める。

 人は自分の人生の喜びを音楽に求める。 

人は自分の価値観を音楽に求める。 


書き出したらきりがない音楽への欲求は、いつも、飢えを感じるほどに抗えない。 

人が昔から音楽を求め生きていたのを改めて思い知る。ずっとずっと私たちは片思いをし続ける。

 私は楽器もしないし歌うのはカラオケくらいで音楽は無知な受け取り手かもしれない。 

でも今、無知は無垢なような気がしてきた。音楽を改めて観察し調べていこうと思っている。

 少し皆さまにはその私の音楽への旅にこれから付き合っていただきたいと思う。 

皆さまが知っておられるように、自由でマイペースな旅になるだろう。 

看板を無視して迷子になるかもしれない。 

いきなり突っ走って目の前から消えるかもしれない。 

音楽はいまも広く無限に増え続けている 

そんな私だがその中に一歩進んでいくのを楽しみにしている。 

皆さんも私の旅ならば飽きずについてこられるのではないだろうか。



 でもちょっと待ってほしい。

 おいおい、それは違うよ、こっちだよと行き先を教えるのはなしだ。 

私は迷子も楽しんでいるのである。

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