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「告白」 三年 八重樫 尋斗

このページをご覧の皆様、初めまして日本大学スポーツ科学部3年八重樫尋斗と申します。
小学校までは地元、岩手で過ごし、中学~高校はJFAアカデミー福島に所属していました。(以下アカデミー)
まず、この文章を読んでくださっている皆様に感謝申し上げます。そしてこのような機会を設けてくれた広報部のメンバーへ、ありがとう。

さて今回、私が書くことは

・私のこれからについて
・みんなへ

の2点です。どうか最後の最後までご覧いただけたら幸いです。

それでは参ります。

【私のこれからについて】
つい先日、実家に帰省した時のこと。リクライニング付きの椅子に腰を掛け、悠々と実家を満喫しているときのことだった。その瞬間は突然訪れた。

「この先どうするの?」

真剣な口調で母親が話しかけてきた。唐突な質問に最初は少々戸惑ったが、ついにその時が来たかと覚悟を決めた。二十歳を迎えた私は思っていた以上に自分の考えを伝えることができた。

「サッカーとは違う道に進もうと考えている。」

初めて、母親の前でこんな発言をしたと思う、私が話していくにつれて母親は涙を流し始めた。そして、いろんな景色が浮かんできた。

私は小学生のとき、自分が一番だと思っていた。岩手県内では敵無しだったし、ナショナルトレセンも最後まで残った、アカデミーを受験した時も受かる自信はあった。

しかし、いざアカデミーに入るとその自信はどこかへ消えてしまった。鳥かご(ボール回し)も知らない田舎者だった私は、周りのレベルの高さに圧倒されてしまったのだ。練習試合の時、副審のやり方も分からず試合中ベンチに立たされることもあった、寮に戻ってから審判の本を何度も読み直し、練習試合の度に本を読み返してグラウンドに向かった。不安だらけ毎日だった。いつしか、小学校の時に積み上げた自信は無くなっていった。

そこから「もしかしたらプロになれないんじゃないか」という気持ちがちらつき始め、歳を重ねるにつれてその思いは次第に大きく確かなものになっていった。正直、中学生というタイミングで早々に「プロになりたい、でもなれないと思う」という二つの気持ちを抱えながら生活をするようになっていった。

アカデミーではエリート教育の考えのもと、自身の夢や目標を書く機会は何度も何度もあって、そのたびに「夢 プロサッカー選手」とちゃんと書いた、ときに全体の前で発表することもあった。大して心の底から思ってもいなかったのに。

また岩手に帰省した時も、行く先で会った友達の親、親戚に「プロ目指してるんだって?今のうちにサインもらっとかないとね!」と言われることは少なく無かった。なんの皮肉もなく、素直に応援してくれるからこその言葉である。岩手県からプロサッカー選手を目指して県外に出ていくなんて凄いことである、今思えばよくあの歳で決断したなとも思う。
当然、応援されて嬉しくないことはなかったし、多少なりとも優越感に浸ることもあった。

ただ、私はいつも複雑な心境だった、素直にその言葉を受け取れなかったのだ。そのくだりが始まるたびに作り笑顔でやり過ごした。家族の前でも、親戚の前でも、友達の親の前でも表向きの言葉で堂々としてみせた。だってみんなの期待を裏切りたくなかったから。

悲劇のヒーローを演じたいわけでもない、自分の苦労話をして慰めてほしいわけでもない。
ただ、そうゆう気持ちもあったんだという事実を伝えたいだけだ。

もし、今まで私を支えてくれた人がこの文章を読んでいたら、本当にごめんなさい。でもこの気持ちに嘘はないです。

そして、そんなどっちつかずのまま何年も時が経ってしまった。ずっと小さいころから追いかけてきたプロサッカー選手という夢、周りと自分を比較してイマイチ本気になれない本当の自分。プロサッカー選手にはなれないと半ば諦めているのに、その夢を諦めきれない自分もまたいた。

頑張って気丈に振舞ったつもりではいるが、小さいころからずっと、どんなところにいても応援し続けてくれた母さんを目の前に本心を伝えるのは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「バロンドールを獲る!」なんて家族の前でリフティングしながら声高らかに、宣言している光景が浮かんで涙が出た。

しかし、決断を下さないといけないときはいつかやってくる。大学に入ってから自分の将来について考える時間は圧倒的に増えた、繰り返し、繰り返し自分自身と対話してく中で、あることに気がついた、それは、

私は誰かに勇気や希望を与えられる人間になりたい

ということだ。小さいころからずっと憧れ続けてきた、プロサッカー選手になるということは一つの手段に過ぎなかったのだ。
本田圭佑は無回転フリーキックで日本に勇気を与えた。清水翔太はその歌声で人々を感動させるし、ヒカキンは動画で子供たちに夢を与える。ここで、川津監督の「君たちはサッカーというツールを使って...」という言葉がすんなりとはいってきた。その方法は何でも良いのだ。あくまでも手段なのだ。

その考えにたどり着いたとき、目の前が急に晴れるような感覚だった、今まで自分をごまかして応援してくれる人達を悲しませないようにとばかり考えてきた、その重りがふっと消えたような気がした。

そして、私は冒頭でも述べた通り、大学卒業後はサッカーとは違う道に進もうと考えている。
自分の中でも大枠は決まっている、ただ一年後どうなっているかなんて自分にもわからないし、誰も予想できない。

私はサッカーと同じくらい熱量を捧げれるもの、アツくなれるものに出会ってしまったのだ、しかもサッカーを通して。そして、私が飛び込もうとしている新しい世界はきっと勝負の世界である、じゃあ立ち止まっていられないな。もうすでに次への準備は始まっているのだ。

「じゃあ、なんで大学でサッカーをしているの?」

続けて、うちの母親は妙な質問をしてくる。これもまた、普段から、このことについて考えるようになったからだろうか、すらすらと本心で話すことができた。

プロサッカー選手を目指しているわけではない、ではなぜ私は、大学でサッカーを続けるのか。それは、

「関東リーグ昇格決定戦のようなあの瞬間をもう一度味わいたいからだ。」

もしかしたら、ちゃんとした答えになっていないかもしれない。でも、母親は大きくうなずきながら私の話を聞いてくれた。
あの関東リーグ昇格決定戦は私の人生の中で、最も震えた瞬間である。おそらく、多くの人の記憶に鮮明に刻まれている試合だろう。自分がピッチに立っていないにもかかわらず、あんなにも勝利を分かち合ったことはない。あの会場にいた、全てのサッカーに関わる人にとって、かけがえのない瞬間を味わったと思う。

今でも、ゲキサカの記事を読み返すたびに鳥肌が立つし、自分で作った映像を少なくとも3回は再生してしまう。そのたびにあの時の興奮が蘇ってくる。
※一応リンク張っておきます。見ていただければ嬉しいです(小声)

当然、相手チームも必死になって最後の最後まで闘った。両チーム本当に健闘した。
あの試合までにたくさんの分析をして、幾度となく、つらい練習も積んできたことだろう。様々な戦術を試行錯誤して、万全の状態だったと思う。それは、我々も同じである。

ただ、最後の金子拓郎のフリーキックを誰がどう説明できるのだろうか、
スコアは1-2、一点ビハインドの延長後半アディショナルタイム。日大は何度も相手のゴールに迫るもなかなかゴールを奪えない。その時、私はカメラマンとしてゴールのそばにいた。シュートが外れるたびに地面を叩いた。あんなに喜怒哀楽のあるカメラマンなんてなかなかいないだろう。いよいよ時間がなくなってきた、本当にラストプレーだと思った。金子拓郎がドリブルで相手陣内に切り込むと、思わず相手はフリーキックを与えてしまう。会場は静寂に包まれる、ゴールが決まって大喜びか、それ以外か。固唾を飲んでその時を待ったのを覚えている。
そして、蹴り放たれたボールは、壁の間を抜けてゴールに吸い込まれた。そのまま笛が鳴り
勢いに乗った日大がPK戦を制し、関東リーグ昇格を果たした。

サッカーには理屈を超える瞬間がある。

あの経験は私の中にいつまでも残る大切な宝物である。

小田和正はこう歌った「言葉にできない」と。俺はあの瞬間をみんなともう一度味わいたい、
だから大学でサッカーをしているのだ。

【みんなへ】
私は、日本大学サッカー部を愛している。そしてみんなが大好きだ。
すべては勝つため、チームとして少しでも上に行きたいからだ。そのためのアクションだったらなんだってする。広報の仕事だって、廊下の掃除だって、全ては勝利からの逆算である。別に広報の仕事を頑張ったからといって、勝てるわけじゃない、試合に出られるわけじゃない、サッカーがうまくなることなんてない。でもチームの勝利に、ほんの数パーセントでも近づけるなら、いくらだってやる。何時間もかけて、映像を作り、傍から見たらどうでもいいような細部にまでこだわる。なぜなら、私には肩を並べて歩きたくなるような奴らがいっぱいいるからだ。チームの現状とこれからについて話し合い、気が付けば日をまたいで語り合うような素晴らしい仲間に出会えた。一緒に身体を鍛え、互いに称えあい、こいつとならどこまでも追い込みたいと思うような奴もいる。週末には江の島に夕日を眺めに行くような洒落た連中もいる、やつらは本当にかっこいい。それは外見的なかっこよさだけじゃない、
ランニングの時には先陣を切って走っていくし、声をだして尻を叩いてくれる。チームのためにサポートに徹することを決意したやつもいる。声を上げれば、一緒になって廊下のモップ掛けまで手伝ってくれる仲間がいる。

俺たちは仲良しこよしの集団なんかじゃない。このメンバーとなら本気で上を目指せると信じている。今まで、みんなと過ごしてきたこの2年間に悔いはない。自信をもって俺は日本大学でサッカーをしたんだ。と胸を張って言える。
気が付けばもう3年生、ちょうど折り返し地点。ここ最近で、時間の大切さなんて嫌でも思い知らされた、まだまだできることはいっぱいある。みんなで行こう、さらなる高みへ。

こんなにも長い文章に付き合ってくださった読者の皆様、本当にありがとうございます。
今後とも引き続き応援の程、宜しくお願い申し上げます。
        

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