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HSPという盾

まずはじめに、これは「HSP」という性質を否定するものではありません。
私自身、この気質に当てはまるものがいくつかありますし、HSPという気質を持って前向きに生きることが出来る方々がいることも知っています。

それを踏まえた上で、私自身がこの「HSP」という肩書=盾とすることに違和感を覚えたということを、頭の整理のために記しています。

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HSPという言葉を知ったキッカケは前職での出来事。

人数の少ない職場で、部屋はひとつ。
食事も自席という狭い空間の中で、一日中他人が近くにいることにストレスを感じる。
隣の席で働いている方の一挙一動が目に入って気になってしまう。食事の咀嚼音が不快で仕方ない。何かとすぐ怒る上司の怒号で気が滅入って仕方ない。

仕事内容自体はなんの問題も無いのに、外部からの刺激がストレスとなり、生きづらさを覚え、調べてみると多くのHSPさんが救われたであろう本に出会った。

これも・・・!これも当てはまる!
読み進めていくと、勿論全ての項目ではないものの、私のことが書いてある!と当時は心が楽になったことを覚えている。夢中になって蛍光ペンで線をたくさん引いた。

そうか、私はHSPだったんだ!
これは私が敏感過ぎるのが悪いのではなくて、そもそもこういう性質が先天的にあるのだから仕方ない!と「HSP」という肩書を手に入れて安心し、心の支えとなった。

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結局、ストレスが溜まりに溜まった職場は退職し、現在は心穏やかな環境で働いているため、これまでの仕事で感じていたストレスは忘れ、HSPという気質そのものの存在も私の中からは遠ざかった。

そして先日、コロナ禍で長いこと引きこもっていた中、久しぶりに友人と会うために外出。
これまで美容院に髪を切りに行ったり、病院に行ったりと、時折外出はしていたけど、「人と話すために会う」というのは半年以上ぶりのこと。

部屋着Aから部屋着Bに着替える、部屋着Bから部屋着Cに着替える、といった誰から見られるわけでもないクタクタな服での毎日。
きちんと身なりを整えて外出するのはとても新鮮で、久しぶりに会った友人との話はとても楽しかった。ただランチをして、おしゃれなカフェを飲みながら数時間会話して、帰宅しただけ。

それなのに、自宅へ帰るともうグッタリ。
自宅について30分も立たずに泥のように眠る。そして次の日も疲れが取れていない。

「あぁ・・・、人と会うのってこんなに疲れたっけ。すっかり忘れていたけど思い出した。私HSPだっけ」

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もはや存在すら忘れ去っていたHSPの存在を、半年以上の月日を経て思い出した。そして思った。

半年以上も忘れていた気質なんて、そもそも私の気質と言っていいのか?というか、人と会うと疲れてしまうのは、私がHSPだから?

いや、そもそも私は人と会うと疲れてしまう体質(性質)なだけであって、そこにHSPという単語は出てこなくても良くないか?

物事に敏感で、繊細で傷つきやすく、他人の気分に左右されて、疲れやすくて、といった性質に生きづらさを感じて、「周りは普通に過ごせているのに、なんで私はこんななんだろう・・・」と当時は罪悪感があった。

そんな自分を責めていたところで見つけた「HSP」という免罪符。

今思うと、あの頃は自分の性質を全てネガティブに捉えていたからこそ、HSPは「あなたのせいじゃないですよ」という私の盾だったんだな、と。

コロナ禍での不安な世の中。次々と起こるさまざまな悲しい事件を見てきて、色々と考える時間も多くなり、頭の中がごちゃごちゃしすぎてnoteを始めた。
この数か月、心のしくみや感情のしくみについて色々と調べて、知識を得て、実感してきた。

その結果、物事に敏感なことも、繊細で傷つきやすいことも、他人の気分に左右されてしまうことも、疲れやすいことも、そもそも全てがネガティブなことではないということに気付いた。

ただ"そういう事実"があるのであって、それをネガティブと捉えていたのは私自身だ。
これらの性質がネガティブであることの理由なんて論理的に説明出来ない。
生きづらかったのは自分に罪悪感があったから。

全ての気質は、ただの性格。ただの私という人間。

「私はHSPなんです」じゃない。

HSPという盾は私には要らないや。

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