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カメラ狂よ眼を覚ませ!人生最後のカメラは?

カメラ狂よ眼を覚ませ!人生最後のカメラは?

カメラの大衆化

昔カメラは高級品だった。
身近なものではなかった。
わたくしの住んでいる市には、
日本で最初にカメラで写真を撮った、徳川昭武の私邸があるけれど
パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代としてヨーロッパ派遣を命じられる
そのままフランスで留学、明治になって2度目の留学もしている、
この人は、いろいろな趣味があったのだけれど、カメラもその一つで、
自分で現像もしていたというから確かなカメラ技術を身につけていたようだ。
でも、この昭武さんのようにカメラは金持ちの遊びだったわけ。
それが一般的になったのは、ハーフカメラが出回るようになった、
1960年代から1970年台頃だ、
その後は、一眼レフや使い捨てカメラ全盛時代が来る、
そして今はスマートフォンカメラ全盛かな。
2000年代の古いデジカメなら、家の中に眠っているはず。
そんなこんなで、売れ筋が高級カメラ主流になって、
コンデジはさっぱり売れないそうな。

年寄りの趣味としてのカメラ

老人のカメラ好きは、昔から定番の趣味だった。
それは、今もあまり変わっていないような気がする。
理由は色々あるけれど、まずはメカニック好き男子の心を打つからだろう。
全自動のカメラもあるけれど、マニュアル操作のカメラほど高級になる。
ダイヤルもたくさんあったほうが喜ばれる。
操作をする楽しさがカメラにはある。
もう一つの理由は、身近でどこでもカメラで操作ができることだろう。
車やゴルフと違って、家の中でも遊べる。
手にとって眺めているだけだけでも、安心できる楽しさ。
3つ目は、写真を撮る楽しさである。
昔のフィルム時代は、光漏れなどで失敗することがあったけれど、今はまず失敗はない。
シャッターを押せば、もうおしまいだ。
しかも、撮った写真はレタッチできるから、RAWで撮影したら、いくらでも補正ができる。
要するに、昔風にいえば現像だ。
4つ目は、家族に頼まれて、孫の運動会や行事に撮影を頼まれたりすること。
これは、自尊心を高めてくれる。
「おれも意外に役立っているな。」と、錯覚することが出来る。
ただ、今は。スマフォのほうがよく撮れていて、高い一眼レフカメラで撮ったほうがピンぼけだったりする。
これは、ショックだが、仕方がない。
こういう時のために、連射しまくりになるが、今度は編集が大変だ。
こういう時。ふと思うのは、
「俺の腕ではなく、カメラが悪い!」
と、思い込むことだ。
そこで、新しいカメラが欲しくなる。

新しいカメラは必要なのか

で、話は元に戻る。
今、カメラはよりどりみどりで、何でもあり。
カメラは、携帯しやすく使いやすいので、スマフォカメラが主流になった。
だから、若い人は、カメラというと、スマフォのカメラを指すことになる。
同調して、老人もスマフォのカメラを使えば良いものを、何にこだわるのか一眼レフを使いたがる。
昔のフイルムカメラなど、骨董品扱いだが、フイルム代金がバカにならない。
やっぱり、新発売のカメラが欲しくなる!
昔、散々カメラを買いこんで、大枚を払ったことをすっかり忘れている。
あなたは、年金生活者なのだ!
買ったカメラの稼働率を反省してみよう。
例えば、10万円で購入したカメラがあったとする。
シャッターを1回切ったら、10円とすると、1万回ほどシャッターを切れば元が取れる。
カメラは数万回シャッターを切ることが出来る。
しかし、実際には数千回どころか、1000回にも満たない場合すらある。
なぜか、たいていの家ではカメラは、基本的に行事用だ。
行事にしか稼働しないから、シャッターを押す機会が激減する。
いつもは、押入れかタンスに眠っている。
カメラ保管庫など普通は購入しないから、バッテリーは死んで、カメラも湿気でだめになる。
死蔵である。
死蔵したカメラが救出されることは稀だ。
使われないで死蔵したカメラほど、悲しいカメラはない。
報われないカメラが化けて出たという話は聞かないけれど、きっと持ち主は恨まれているはず。

死蔵カメラに光を

ゲーテは、なくなる時、死の床で、
「もっと光を!」
と、格好いい言葉を残したそうだが。
われら、老人はちょっと真似て、死蔵したカメラに光を当ててやろう。
死蔵カメラを生き返らすのだから、ゾンビカメラと名付けても良い。
ただ、フイルムカメラは今ではちょっと贅沢。
電池も高いし、本体は大きくて重い。
ここは、フイルムを諦めて、デジタルカメラだけをゾンビ化しよう。

散歩に連れて行こう

行事用カメラが死蔵の道を歩いたのは、使わないからだ。
まずは、ゾンビカメラを持って、散歩。
何でも良いから撮ろう。
散歩に出たら100枚くらいは撮ろう。
撮った写真は、すぐパソコンで取り込んで、写りを確認しよう。
レタッチしてもOK,とにかく撮ったカメラの写真は、その日に見よう。
そして、自分の気に入った写真だけ数枚残すことにする。
写真日記でも良い。
ブログやnoteにその日の一番をアップしても良い。
すると、古いカメラでも十分使えることがわかる。
最近アメリカの若者の間では、親の世代が使っていたCCD搭載のデジカメが人気らしい。
CCDの写りには捨てがたい温かみがある。
精細さには欠けても、そんなことは気にすることはない。
フィルムカメラの写真には、それなりの面白さがあるように、
昔のデジタルカメラにも、ノスタルジックな面白さがある。
自分の持っているカメラの良さに気がつくことが、今回の本当の目的なのだ。

目的にあったカメラを使おう

ポケットにカメラを。
持ち歩くことを考えたら、これが一番だ。
こういう場面には、昔のコンデジが似合う。
画素数は問題外だ。
ただし、1000万画素以上のデジカメが良い。
理由は簡単だ。
その位の画素数のカメラは、反応が良いからだ。
さっと取り出してさっと撮影が出来る。
レスポンスが良いのだ。
初期のカメラは、写りは良いけれど、反応が鈍かった。
起動時間が遅くて、いらいらした記憶のある方もいるのではないか。
バッテリーも最初は半分死んでいるが、使っていれば生き返ることもある。
週に一回は、一眼レフも使おう。
一眼レフは、やっぱりボケ写真が心をくすぐる。
ずっと使っていると、やっぱり使わないカメラがなにかわかる。
その時は、これからも使わないカメラは処分しよう。
メルカリなら、売って損はしない。

持っているものを活かす

何でもそうだが、使いこなすためには時間がかかる。
カメラは特にそうだ。
機能を全部使ってみるつもりで、再度使ってみたい。
写した写真は、自分の記録にもなる。
若い頃と違うのは、自分の過去をしっかり見直すことが出来ること。
買った時は、浮かれた気分で楽しく使っていたが、そのうち飽きてしまったカメラ数台。
哀れな半生にもう一度光を与えてみよう。
それぞれのカメラの、良さに気づかなかった自分を、反省してみよう。
そうすると、びっくりするほどの長所を発見するはず。
光の当たらなかったカメラに、新しい発見をする自分、その自分が愛おしくなるはず。
「活かす」のは、老人に与えられた使命だ。

普段使いのカメラ

死ぬ前に、自分のカメラで自撮りをしてみたい。
これは夢。
自分の死後自分でデスマスクは作れないけれど、カメラならシャッターを押すだけ。
死ぬ前の自分の顔が笑顔だったら、きっと幸せな人生だったろう。
良いな、最後の自撮り。
これくらい、愛用したカメラ、遺品として価値があるというものだ。
もう新しいカメラは、不要だ。

旗じいの記事を最後まで読んでくれてありがとう。
カメラというと、ライカの話ばかり。
嫌になるよ。
普通の平凡な人間は、普通のカメラが一番だ。
押し入れから、カメラを是非救出してみて。
ちなみにわたくしの愛機は、RICOHのGX100だ。

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