呆れるくらいの「量」に向き合う必要性
先行者を追いかける時には呆れるくらいの膨大な「量」をこなすしかない。
何かを始めようとする時。
やってなかったことをやり直そうと思った時。
これらってすべて先にやってる人が必ずいて、その人たちが一定のポジションに就いているんですよね。
つまり、自分たちよりも詳しい、できる人たちを追いかける立場であるということです。
追いかけるってことは後塵を踏んでいるってことですから、先行く人たちを追い越すにはその人たちのペースに合わせていたら一生追いつけません。
たとえば、友人とサーキットゲームをしていて、友人が僕にコース1周の差をつけているとします。
この状況で、僕が友人に勝つ方法は2つだけしかないです。
①友人が操作をミスって失速するのを期待する
②友人よりも早い速度でコースを回る
①に期待してしる人は自分の操作は関係ない部分で勝とうとしています。
つまり「運頼み」ですよね?
勝てると思います?
ま、ほぼ勝てないでしょうね。確率が低すぎるリスキーな話です。
「きっと大丈夫!」なんて歌詞がJ-POPには溢れかえっていますが、何もせずに「きっと大丈夫!」が現実になることなんてほぼ皆無です。
クラスのアイドルに対して「きっと僕の事を好きになってくれる!」なんてどんなに願っていたってそうそう叶いませんよね?イケメンに取られるのがオチです。
(過去、経験有り笑)
話を戻します。
友人に勝とうと考えた場合、残る選択肢②に全力投球するほかないんです。
ということはですよ、友人がもし時速80キロで操作していたとしたら、僕はそれ以上の時速で走る必要があるわけです。
でも、90キロじゃ追い越せない。なぜなら既に1周の差がついているんですから。
じゃあ何キロで走ればいい?
算数を駆使して時速を計算することもできるでしょう。でもですよ、そんなギリギリで勝負して大丈夫ですか?って話なわけですよ。
たとえば、時速110キロで走ったら勝てるという答えが出たとします。
でもですよ、もし友人が同じ時速まで加速したら・・・
はい。勝てないんです。差は維持されますから。
何が言いたいかっていうと、呆れるくらいの時速で走ることでしか勝つ確率はほぼないってことです。
それでも勝てるかどうかわからない。でも、勝つために必要なのは確実に距離を縮めていくことです。
その距離を縮める作業というのには膨大なウェイトがかかるわけですよ。時速80キロで走ってたのに急にお門違いな時速に切り替えないといけないんですから。
でも、そうするしかない。ビビらずに、そして気持ちをセットし直すことができるかどうか。
「このくらいでいけるっしょ!」と自分軸で決めたことなんてほぼほぼすべてにおいて足りてないことばかりなものです。この事実を知ることです。
先行者を追いかける時には呆れるくらいの膨大な「量」をこなすしかない。
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