Say hello to myself (again)

新型Apple Watch購入を決意したのは先月上旬のこと。

このことはいつか整理できたら書くかもしれないが、生活(ともしかすると生き方)がちょっと変わる別れがあって、ちょうど思い出の品や古いものを整理していた時期だった。ネットの新しもの好きたちが新型iPhone(現行のiPhone11シリーズ)の仕様予測で盛り上がる中みつけたのが、Apple Watchの新型が出るという噂。

15年ほど使っているカシオのEcoDriveはまだ壊れていない。むしろメンテナンスフリーで、太陽光さえ与えておけばバッテリー充電や交換の必要もない、じつに手のかからない聞き分けの良い奴である。ただ、これがかなり昔の恋人に貰った誕生日プレゼント。これも、捨てはしないにせよ毎日身に付けるのが億劫になってしまった。物に罪はないが、思いは宿る。目に触れれば自然と思いに耽ってしまうこともある。思い出の場所は個人の意志で消すことはできないが、日常から思いの宿る物を見えないところに追いやることはできる。

身に付けるものは可能な限り買い替えよう。そう思った。

そうとなれば心変わりは早い。「耐用年数が3〜4年と言われるスマートウォッチなんぞ買わん」と思っていたワタシの豹変ぶりたるや、我ながらみごとと言うほかない。テキスト動画問わずあらゆるサイトを覗き、予想される仕様について調べ上げ、あるいは旧型の使用感を読み漁り、新型の可能性に思いを馳せ、使いたいアプリの選定、できることとできないこと、やりたいこととやりたくないことのリストアップ、替えのバンドや充電器などアクセサリー類の情報などを収集。気の早いことに設定の概案までも練り上げた、この時点で9月10日。11日深夜の発表こそさすがに睡眠に充てて見送ったが、早起きしてストアに商品のリストがあるのを確認し、ほぼ即決で注文した。

こうして着々と準備をすすめるうち、単に身の回りの物を入れ替えるだけではない効用の可能性を感じるようになった。あくまでも可能性であるから決定的なことは言えないが、生活サイクルも変えられるのではないかと思い始めたのだ。すなわち、長年自分には向かないものだと避けて来た運動と向き合う。考え得る中でこれ以上の好機はないだろうと思った。

Apple Watchという製品のそもそもの成り立ちが、フィットネスやヘルスケアと密接にリンクしているし、そうした要素を排除すると商品価値はおそらく半分以下になるだろう。ヘルスケアにコミットしているというブランドイメージもまた商品価値のうちだ。もちろん所有欲を満たすことやファッション性だけで購入に至る例もあろうが、費用対効果と耐用年数を考慮したとき、このように充実した機能を使わず、かつワタシが長年避けて通ってきた運動という苦行から目を逸らす理由が殆どなくなった。いや、なくなってしまった。もう買ってしまったしなぁ。外堀を完全に自分で埋めてしまったワタシに、籠城という手段はもはや残されていない。ははは。

かくして今、ワタシの手元では新しい世界への小さなドアが開かれている。そのドアの入り口はワタシにとっては少し狭く、なかなか入って行きづらいのだけれど、それでも昨日とは違うワタシに会いにいく道がその先にある。そこに自分をフィットさせていくのはなかなか難しいことかもしれないけれど、すくなくともあたらしい自分と毎日出会える、そんな希望も感じている。軽いジョギングを終えて今、こうして新しく始めたnoteに文字を打ち込んでいるのも、もしかしたらその効用かもしれない。

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