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たわむれて、徒に散る。

ざぶざぶとバスタブにお湯が入る音がする。
そこに湯が満たされた時、あたしは、このとても狭い世界の統治者になる。

午後1時。
いわゆるラブホテル。
大半のカップルはセックスをし、快楽を貪り合い、場合により愛を囁き合うために入る場所。
その時の恋人同士たちは、互いに全裸で、包み隠すことなく肌を押し付け合い、抱き合っているかもしれない。
あたしは服を脱がない。
目の前にいるのが、恋人ではないから。
そしてこの関係にはセックスが伴わないから。
“大半のカップルは”セックスをするだろう。ただし、世の中にはその大半に入らないペアだって、それなりにいるはずなのだ。

関係は主従。
プレイはSM。
相手は被虐を好むマゾヒスト。
それでいて、服従心のある犬のような男。
少し上がった柳眉に、少し下がった目尻。
身長は当然のようにあたしより高く、背格好だって男らしい。誰がどこからどうみても、今時の「若者」。
さわやかな「青年」。
誰かに言葉でそれを説明しても、誰も彼の性的な嗜好について疑いを持つと思う。いたってどこにでもいる、青年だ。
強いて言えば、見目が麗しい。それはあたしの好みの問題。

見た目や年齢や、社会的地位。
それらは性的な欲求の前では意味をなさない。
あなたは被虐を好み、あたしが加虐を好む。
あたしは足元で可愛がりたいし、あなたは足元に座りたい。
あたしたちが出会ったのは、もはやそれだけが理由。そしてたまたま、それらの好みが合致し、水が合った。タイミングが合った。惹かれるところがいくつかあって、繰り返すうちに信頼が生まれた。
始まりは至って普通の人間関係であって、友人や恋人になる過程とほぼ同じ。ただ性的なアプローチが、一般的ではないかもしれない、というだけ。
一般的、という言葉もあたしはあまり好きでない。そのカテゴライズに意味はあるだろうかと思ってしまうから。
人間誰しも、被っている面の皮一枚剥げば、変態と呼ばれる生き物になるんじゃないかと思っているから。

平然と暮らしていても、立派に毎日社会人として勤め上げていても、素朴な良妻賢母だと呼ばれても、内心も核心も他人からすればわかったものでない。
そういう、醜い部分や弱い部分、本音、誰にも見せられない恥部、長年連れそった配偶者や友人にも絶対に言えない、“まともじゃないかもしれない自分”を曝け出せる。
この場所は、独白の場。

湯がたまる間に、あれをしてこれをしてと、頭の中で考える。簡単な手順、相手がどんなふうに反応するかの想像。起こりうる事項、突発的なトラブル。道具を準備する。その時が一等楽しい。
プレイはその通りならなくてもいい。
途中で逸れてしまってもいい。脱線の先にまた別の興奮があることもある。手短に終えようと思ってたことが長引いたり、それは楽しくってつい終われなかったり、没頭したり、そんなこともある。
うまくいかないことも、結局やらないこともある。計画通りやるかどうか、成功するかどうかは問題ではない。

これは饗宴なのだ。
饗宴に、計画も成功も必要ない。ただ、楽しければいいのだから。いろんなところから体液が滲み出すのを耐えきれなくなって、最後に脳みそが濡れるのを感じたい。自分と相手の境界線が曖昧になり、ぐちゃぐちゃになりながらも、あたしは上、あなたは下を維持して、息を詰めて一番気持ちいいところを探り合う。
手順や計画などと最初は高尚なことを言い、信頼性がどうのと御託を並べていても、どこかで頭の糸が切れる音がして、衣擦れの音と荒い息遣いとだけが止まらなくなる。
最後の最後、絶頂とは、いったい何だ。
ただの時間切れなのだろうか。
どちらかが、壊れるまでか。

そんな饗宴なのだ。
そしてこれは狂宴だ。

あなたとあたしの。



*このお話はフィクションです。

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