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3. 空気の全く読めない子どもだったけど、めちゃめちゃ空気読むオトナになった

Twitterがきっかけで目にしたコラム。子どものいる人はもちろん、いない人も一度読んでみて欲しい。

今ではすっかり、とけいまわりさんの長女のファンだ。

このコラムを読んで自分の小さい頃のことを思った。この長女ちゃんのような子どもの頃には当たり前に持っていた感覚がわたしから失くなったのはいつ?それは今でもハッキリ覚えていて、わたしが小学校5年生のある日だった。

今思うと、わたしは小5のその日まで、クラスでも浮いていたし、先生にもいびられていたし(カンニングしていないのに目の前でテストをビリビリに破られたり、隣の席の子がこぼした給食を拭かされたり、クラスの子のお誕生日会やキャンプにわたしだけ呼ばれなかったりした)、ナチュラルにハブられていたっぽい。

幸いなことに、わたし自身が「やられている」自覚が無かったから、辛いとか思い出したくもない悲しい記憶とかでもないのだけれど。

例えば小さい頃のわたしは、友達に誘われても家でリカちゃん人形で遊びたければ行かないって断ったり、(やんわり断るとかできない小学生)小1の時の男性の担任教師が入学式の日に、クラスの子全員に「男の先生がよかった人ー?」て聞いたら(それを聞くのもどうかと思うけど)クラスの全員が手を挙げるなか、
わたしは「女の先生が良かった人ー?」にたった一人で堂々と手を挙げたり。

母から友達と半分こしなさいって渡されたどら焼きを半分に割って、たくさん食べたいから大きい方を自分、小さい方を友達にあげたら母に怒られて、なんでいっぱい食べたいのに大きいの取ったらダメなのーーって一晩中泣いたりして。

わがままとも違って、思いっきり自分が思うように生きていて、空気を読むとか大人の顔色をうかがうとか全くしない子どもだった。担任の先生にも「図太いお子さんですね」とか言われて。多分、大人から見ると扱いずらい、かわいくない子どもだったのかもしれない。

それが、小5のある日を境にグルンと世界が変わり、わたしは学校に行けなくなった。

女子は小さい頃から空気読むことを求められる?

当時わたしは、辛うじて教室内ヒエラルキートップのグループに所属していた・・・っぽい。

ぽい、というのはグループの誰かのお家に遊びに行く時にわたしは誘われたり誘われなかったり。主に人数が足りない時なんかに
呼び出されていたから、案外、元からハブられていたのかも?と今になってみると改めて思った。

自分としてはグループみんなと仲良しなんだと疑いもしなかった。

小学校高学年あたりから人目を気にしだすのだろうか、その頃の女子あるあるで、クラスの子の噂話や悪口で盛り上がる。それを聞いて、「◯◯ちゃんはこんな良いところがあるよ!」とか「それは噂じゃない?本当はそうじゃないと思う」とか正論をぶちかましていたリトルわたし。そりゃ、ハブられても仕方ないよなって今になってやっぱり思う。

その日、誰かの家にお邪魔してみんなで遊んでいた。
わたしも呼ばれている会だった。グループの人数は確か5名。

ヒエラルキー最上位グループのさらにボスキャラである子がいて、その子をAちゃんとしよう。

クラスで男子からの好きな女子第一位のAちゃん。モテ女子だ。

ドッジボールは最後まで残ってスポーツ万能、勉強も出来るし、明るく天真爛漫で先生にはいつも可愛がられていた。お父さんはパティシエ、お母さんはとっても美人。服はオシャレだし、ジャージは常にaddidasの3本線のやつ。
ノーブランドのジャージは着ない。とにかく典型的なクラスで一番輝いている女の子だった。

Aちゃんはいつもグループ他4名(わたし含む)に指令を出していた。

明日かわいいシール持ってこいとかいちご新聞(サンリオ発行のファンシーな新聞)買ったら真っ先に自分に読ませろとか休み時間にバトミントンをするメンバー集めろ、とか。

わたしは自分がしたいことはするし、やりたくないことはやらなかった。

だから適度にハブられていたのだろうけど、とはいえ、すごくいじめられてもなかった。

Aちゃんは、会社でいうところの無茶ぶりをしてくる上司、ゴシップガールで言うと間違いなくブレアだ。

初めて感じた同調圧力

友達の家でのおしゃべりもひと段落した時、Aちゃんからの新たな指令。

A:「みんな〜、
ちょっとそこに一列に並んでー。」

わたしを含めてみんなで並ぶ。

A:「じゃあ、
ちょっと目をギュッとつぶって。で、顔に力入れてー。わたしがいいって言うまで、目を開けても、声を出してもダメだよー」

ドッキリカメラみたいなやつとか?!とワクワクするわたし。

しかし、実際はAちゃんが全員にビンタするという予想だにしないことが起こった。

わたしは順番的に大トリを飾るべく最後だったのだけれど、隣から3回、パチーンとビンタをする音が聞こえて、

このままだとわたしもビンタされちゃう!叩かれるのが嫌だけど、
誰も痛いとも言ってなくて、泣いてもいない・・・ってことは我慢しなきゃいけないのかな?

人生初の同調圧力を感じたのだと思う。

いつもは、空気を読むことを知らず、自分がやりたくないことは加担せず、断るようなわたしだったのに、何故かその日は動けなかった。

そして、あっという間にわたしもパチーンと叩かれた。

Aちゃんは目を開けていいとは言っていなかったけれど、わたしはパッと目を見開いて他の3人を見てみた。3人とも痛さに顔を歪ませていたけど、ヘラヘラ笑っていた。

それを見てパニックになったわたしは、机の上に突っ伏して泣き続けた。他の3人はAちゃんに叩かれるのがきっと嫌だったはずなのに、痛かったのに叩かれて笑っている!?

それが信じられなかったのと、なぜみんながそうしているのかがわたしにはわからなかった。

で、実際自分もビンタされてめっちゃ痛い、だけど他の3人のようにヘラヘラ笑うことが出来ない。

でも、明らかに今わたしが机で突っ伏して泣いているのは間違い、早くみんなのように何事も無かったようにヘラヘラしなきゃ!!!

と思えば思うほど、涙が止まらなくなってしまって、ついに夕方家に帰るまで、ずっと机の上で泣いていた。

更に家に帰ってベットの中でもずっと泣いていた。

次の日学校へ行くことを考えると怖かった。またいつものように学校に行ってももうビンタされる前のわたしじゃない。みんなみたいに、何にも無かったように
ヘラヘラするしか道はない。じゃないと、もうあの教室には戻れない。

で、また同じように叩かれることがあっても、我慢しなきゃいけないんだ。と思ったら次の日から学校に行けなくなってしまった。

その日あったことやそれをどう感じたかとか自分の気持ちを両親に伝えられなかった。うまく言葉にできなかった。

わたしの両親は昔から学校も本当に嫌なら行かなくてもいい、勉強する方法は他にもあるから、プランBを考えよう!というタイプだったので学校に行けと無理強いされることはなかった。これには本当に心の底から今でも感謝している。

ただ、母親に心配をかけていることは感じていて、そんな自分が嫌だった。でも、どうすることも出来なかった。

少し経って、母から「転校してみる?」と言われて、このまま学校に行かないと
中学も行けなくなっちゃうしマズイなーと思っていたわたしは二つ返事で転校を決めた。

転校先は私立の小学校だったので、誰も知ってる人がいない、わたしにとっては人生初の転校だったけどAちゃんもヘラヘラしていた友達もいない環境でイチからやり直せると思ったら、一気に気分が晴れたのを覚えている。

一転、空気を読むことに全てを捧げた

Aちゃんにビンタされたことで、生まれて初めての同調圧力を感じ、自分が嫌なことでも人に合わせなくては教室の中で居場所がなくなる、学校も行けなくなってしまう、という衝撃を受けたわたしはそれ以降昔のような自分の好きなように発言し、自由に好きなように動いていた自分を封印して、ひたすら空気を読み、周りに合わせることに集中した。それが正解だということにした。

もともと思い立ったら何でもすぐやってみる性格で、瞬発力と集中力には長けていた。その後は自分がどうすればいじめられないかが何となくわかったし、学校とか会社とかそれ以外でも人間関係でのベスポジを確保することが出来るようになった。

大人になって、少し仲良くなった人にはよく「昔不登校だったことがある」と告白するんだけど、みんな意外そうな顔をする。それでいいと思っている。特にそのことがトラウマになっているわけでもないし。どこにでもある小さな頃の話だ。

ただ、もし身近にビンタ前の自分のような子がいたら、そのままでいいんだよー!って伝えたいし、自分に子どもがいたらそういうのを壊さないように育てたいって思うから・・・30代後半ずっと子どもが欲しかったこと、子育てしたいと思わざるを得ないのは小さい頃の自分をもう一度育てたかった、これが源泉なのかもしれないな。

これからは・・・

Aちゃんからのビンタ事件は、わたしの人生でかなりインパクトがあったけれど、おかげで人に合わせることが板について、共感力や協調生が身につき、仕事でもプライベートでも役立っている。心理テストとか占い(魚座)をやっても、毎回必ず、人の気持ちがわかる、感受性が強い、共感力が高いと出るから、案外生まれつき決まっていた?空気読まない星の元に生まれたのかもしれない(笑)

きっと、わたしが人の転職をサポートするキャリアアドバイザーの仕事についたのも、やりがいを感じていたのも、人にそのままのあなたでいいんだよー!大丈夫だよー!合う仕事探しましょー!ってその人の持っているものをそのまま壊さずに大切にできる仕事だったからかもしれない。

だけど、時々思う。その弊害として。

空気を読むということは、誰かのためにといえばとても聞こえがいいけれど、ほとんど無意識に自分の気持ちを無視して人に合わせたり、周りとうまくやることが当たり前。だから、自分が本当はどうしたいか?どう感じているか?っていうことがボヤけてしまいがちだ。

これからは小さい頃の自分を少し思い出しながら、たまにはあえて空気を読まないこともいいかも?自分のやりたいこと、気持ちも大事にしながら自由で柔軟なオトナを目指すことにする!



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